六本木駅近くに到着。
周辺を散策する。
仕事で何度も通った所ばかりだ。
◆水産経済新聞社
水産関係の新聞社なんだね。
初めて知った・・・・。
日刊水産経済新聞|THE SUISAN-KEIZAI DAILY NEWS
◆朝日神社
以前お参りしに来たことがある。
2018/02/14 大使館スタンプラリー 04 於多福坂/フィリピン大使館/威徳大明神/朝日神社 - ovanの社会科見学
當神社は旧記によれば旧暦天慶年中(西暦九百四十年)草創と伝えられ、はじめ市杵島姫大神(弁財天)を祭り当地の鎮守の社として広く庶民に尊信されて居り、後伝う処によれば織田信長公の室朝日姫(清心尼)が、澁谷に住す嘗て長者ヶ丸を過ぐる折、叢中に光有りて旭陽の白露に映ずるが如し熟視すれば、稲荷の神像及び観音の像ありのち奉持して帰り、観音像は他の寺院に贈り稲荷の神像は暫らく草庵に祭るも后、弁財天と合祀して日ヶ窪稲荷と呼ばれたが明和年間に朝日稲荷と改称され、益々尊敬する人々多く、隆昌を極め明治二十八年朝日神社と改称する。
◆饂飩(うどん)坂
右へ行くと饂飩坂。
左へ行くと芋洗い坂。
坂上。
天明年間末(1788)頃まで松屋伊兵衛といううどん屋があったためにうどん坂と呼ぶようになった。昔の芋洗い坂とまちがうことがある。
◆芋洗坂
坂下。
坂上。
正しくは麻布警察署へ上る道をいったが、六本木交差点への道が明治以後にできて、こちらをいう人が多くなった。芋問屋があったからという。
◆光専寺
google mapには「佐藤一斎墓」のマークも付いていた。
口コミ見るとお墓は非公開らしい。
wikiで「佐藤 一斎」を調べてみた。
『佐藤 一斎(さとう いっさい、安永元年10月20日(1772年11月14日)- 安政6年9月24日(1859年10月19日))は、美濃国岩村藩出身の儒学者。諱は坦(たいら)。通称は捨蔵。字を大道。号は一斎のほか、愛日楼、老吾軒。』
『墓地は、東京都港区六本木7丁目の深廣寺にあるが非公開である。 』
佐藤一斎 - Wikipedia
お寺の名前が違ってる?
ということでgoogle mapをもう一度開いてみた。
同じ境内?にたしかにお寺がもう一つ存在しているね。
気が付かなかった。
続く。