というか広島散歩だね。
◆駅前大橋
下は「猿猴(えんこう)川」
近くにあったパネル
ヒロシマ平和のゲートウェイ
雲一つ無く晴れ渡った夏の朝8時15分、登校中に少女は、突然、道の側の家に吹き飛ばされた。気がつとれた家の隣の下敷きになっていて、 がろうじて死をまぬかれた。火傷は治癒したものの、原爆が残した心の傷が癒えることはなかった。少女は廃墟と化した自分の故郷の為にいつ何かしようと夢を推いた。
広島女学院で英語を留得し、欧米に渡って美術を学んだ。日本に帰り、インテリア デザイナーとして一線で活躍する様になり、成功を収めた。時代に取り残され、いっこうに再開発されない広島駅周辺の美化を決意した。幼少から慣れ親しんだ川岸や駅付近一带を清潔で落ち着いた、市民や旅行者が一緒に集える温かい雰囲気の溢れる場所にし、美に広島の玄関ロとして平和を祈るシンボルになるに相応しいランドマークが必要と思った。センターピースは彫刻家 三木俊治氏による寄贈である、それを擁する公園はあの時の少女、中本博子の長い間かけた夢の実現である。
◆稲生神社
完全に暗くなってしまったね・・・・。
広島のお稲荷さん
浅野公が広島入府の際、勧清し、当稲生神社は豊受大神・大国主命・稲生武太夫公霊神をお祀りしています。
五殺豊穣・商売繁昌・厄除けの神様とし400年の歴史をもち広島のお稲荷さんとして親しまれ崇敬されてきました。
とくに享保十八年六月十八日広島大火災の時、稲生神社と大工・忠七(信仰厚く稲生社の世話人)の家が類焼をまぬかれたことから 火災除けの神様としても篤く信仰されています。
また、稲生武太夫公は、強く勇歌な妖怪退治と知られ、人々を守ったことから魔除け、強運を招く神様ともいわれています。
開運魔除け、お守り槌
当神社の霊神稲生武大夫公(浅野公に任官、藝州藩指南役)は妖怪退治で数々の伝説を残しています。
公の剣の道の奥表は「何事も臆病にては相叶わず、武は修むべし、剣は抜くべからず。」ということと伝えられています。
稲生公の人格と胆力とに敬服して忠誠と誓った怪物から授かったといわれる不思議な木槌は公が終生身離さず天下天上平定のために使ったといわれ、この槌で「北の
柱を三度叩けば、いつでも現れ出て妖怪を退治してやる」といい伝え残したという謂(いわ)れある槌です。
辛いのがウリみたいだったけど、お腹がゆるいので普通のラーメンにした。
美味しかったー。
広島でホテル一泊。