2023/06/18 花小金井駅前




◆小平グリーンロード齋藤素巌・彫刻の小径

彫刻家 齋藤素巖 (1889~1974)
 齋藤素巖は、昭和18年小平市学園東町 (学園坂) アトリエを構え、没するまでの31年間を創作活動を行った小平市ゆかりの彫刻家です。 大正元年から文展などに作品を発表し、数々の受賞を重ねる一方、わが国初の本格的な彫塑 (ちょうそ) 専門団体 「構造社」を設立した日本近代を代表する彫刻家の一人です。
 昭和5年兜町株式取引所ビルに設置された 「商業・農業・工業・交通」 (昭和63年のビル解体とともに取り壊される) のほか、 兵庫県湊川 (みなとがわ) 公園 「大楠公像(だいなんこうぞう)、 東京赤坂の高橋公園 「高橋是清翁像 (たかはしこれきよおうぞう)」が代表作としてよく知られています。 小平市では、素巖の没後、遺族から寄贈された240点を越える石こう原型の保存に努めるとともに、ブロンズ鋳造(ちゅうぞう)を行ってきました。「齋藤素巖・彫刻の小径」は、小平駅から花小金井駅間の小平グリーンロード (狭山・境緑道) 上および隣接する公園に、 16基17作品が設置されています。 このほかに、ブロンズ作品の一部は小平市役所南側の芝生広場( 「荷重 (おも)」 や、 ルネこだいら 中央図書館玄関壁面などに設置されています。
小平グリーンロードは狭山・境緑道、野火止用水玉川上水、都立小金井公園を結ぶ小平をぐるりと一周する水と緑の散歩道です

『父知三、母かねの三男として、東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)に生まれる。東京府立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)を経て、東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)西洋画科卒業。
1913年、英国へ渡り、ロイヤル・アカデミーで彫塑を学んで1916年に帰国、東京・本郷菊坂町に落ち着き、のちに田端文士村に転居。1918年(大正7年)、第12回文展で「敗残」が特選。1926年、日名子実三とともに彫刻と建築の総合をめざして構造社を結成。1943年(昭和18年)、現在の小平市学園東町に転居。
1935年(昭和10年)、帝国美術院の改革に伴い会員に選出[2]、1937年(昭和12年)、帝国美術院の後継団体である帝国芸術院会員。1949年(昭和24年)、日展運営会理事、1952年(昭和27年)、国立近代美術館評議員、1958年(昭和33年)、日展常務理事、1969年(昭和44年)、日展顧問。1965年、勲三等瑞宝章受章。
1974年(昭和49年)2月2日、老衰のため東京都世田谷区の久我山病院にて死去。84歳。 』
斎藤素巌 - Wikipedia





◆カッパ



斎藤素巌





小平市デザインマンホール

おさかなさんがかわいいね!





◆ブルーベリー栽培発祥の地 こだいら

 今やすっかりおなじみの果物となったブルーベリーですが、日本で初めて作物として栽培を始めたのが小平市だということをご存知ですか?
 東京農工大学の教授で「ブルーベリーの父」とも呼ばれる故・岩垣駛夫元教授の教え子が、 昭和43年に花小金井南町にある実家でブルーベリーの栽培を始めたのがきっかけです。 その後、昭和50年に大手メーカーが 「ブルーベリージャム」を販売したことでブルーベリーの名が一般に知られるようになり、現在ではケーキやジュースなど幅広く活用されるようになりました。
 小平でも、生果はもとより、ジャムやワイン、洋菓子、和菓子など、様々な加工品としてブルーベリー商品を販売していますので、ぜひ栽培発祥の地である小平産のブルーベリー商品を味わってみてください。





◆小平グリーンロード