2023/10/02 久米川・新小平散歩 05 テルメ小川/西武拝島線踏切/栄町記念公園/西小川信号場跡・踏切・四季の小径/西武線踏切/故陸軍歩兵二等卒加藤君墓誌銘

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/10/02/200000




◆テルメ小川

HPがあった。
小平天然温泉テルメ小川 | 東京小平の日帰り天然温泉




西武拝島線踏切

西武拝島線踏切。






◆栄町記念公園




栄町土地区画整理事業竣工記念碑




◆西小川信号場跡・踏切・四季の小径

現地には説明版など見当たらなかった。

西小川信号機跡。
google mapでは「西小川信号場」となっているが、wikiをみると「西小川信号所」となっている。
拝島線が1968年(昭和43年)に拝島まで全通した当時、上水線時代の1962年(昭和37年)に編入した旧小平線の小平 - 萩山間を1967年(昭和42年)に複線化してあったのみで、それより西は全て単線であった。しかし、戦後すぐから西武鉄道全体で進められていた複線化の波は拝島線にも押し寄せ、1979年(昭和54年)に萩山 - 小川間、1983年(昭和58年)に武蔵砂川 - 西武立川間が複線化され、中央部のみが単線で残された形となった。
この区間に対し、西武鉄道は小川 - 玉川上水間を複線化することとしたが、この時に小川 - 東大和市間に関しては東西に分割して施工した。これにより1987年(昭和62年)3月5日にまず西側が複線化されることになり、同時にその複線部と東側の単線部を出入りする列車の交換用に当信号所が設けられた。
この区間のうち西側は翌1988年(昭和63年)に玉川上水まで複線化されたものの、東側の小川から当信号所までの間は単線で存置され、その間当信号所は複線区間・単線区間の境界としての役割を果たすことになった。そして1991年(平成3年)3月29日、小川 - 玉川上水間の複線化が完了すると、当信号所は役目を終えて廃止された。 』
西小川信号所 - Wikipedia


西武拝島線踏切



何も痕跡はないが、こちら側が西小川信号機跡。



四季の小径



四季の小路は栄町の区画整理事業から生れた憩いの緑地です。
長さ1150mあり、散歩をするのには絶好のポイントでしょう。




西武線踏切

西武拝島線






◆故陸軍歩兵二等卒加藤君墓誌

調べてみたのだが、詳細は判らなかった。
ご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。
ぺこ <(_ _)>





続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/10/02/213000