2017/09/26 飯田橋散歩 02 北辰社牧場跡/東京女子医大開校の地/台所町跡/滝沢馬琴宅跡の井戸/南堀留橋

まだまだ飯田橋駅からそんなに離れていない。
白山通り沿いに碑が沢山建っていて、読みながら進むとかなり時間がかかる。



◆北辰社牧場跡

榎本武揚は明治の始め、北辰社牧場をここに開きました。幕臣榎本は文久二年(1862)オランダに留学を命じられ、当時のヨーロッパ事情や法律、化学などを広く習得しました。幕府が瓦解すると榎本は指揮下の海軍をひきいて函館までも転戦しましたが、黒田清隆山田顕義らの率いる官軍の軍門に下り、捕われの身となります。しかし、彼の新知識を惜しまれて許され、新政府では幾多の要職を歴任しました。一方、旧幕臣子弟の為の育英黌農業科や北辰社牧場などを作りました。最盛期には乳牛が四,五十頭もいて新しい飲物、牛乳を提供していました。



東京女子医大開校の地

ここにあったはず!!
工事のために撤去されてるね・・・・。


以下、WEBで見つけた碑文です↓
『 吉岡彌生は 明治三十三年(1900)12月5日,この地にあった 至誠医院のなかに 東京女医学校を創立しました。翌三十四年四月, 同校は牛込区市ケ谷仲之町に移転。 のちに 市ケ谷河田町へ移転して 現在の東京女子医科大学に続きます。 吉岡彌生の至誠医院は 明治四十一年(1908)に 旧飯田町四丁目三十一番地に移り, 関東大震災までありました。』




◆台所町跡

 江戸のはじめから元禄の頃まで、飯田町紙流通センターの所に江戸城の台所衆の組屋敷がありました。そして台所頭をはじめとして、台所衆、台所者と呼ばれる役人が住んでいました。武鑑にお台所頭、四百石、たい所町、鈴木喜左衛門と記されています。
 その後大名や、旗本の屋敷に移り変わりましたが、なお付近は台所町の名が残りました。




滝沢馬琴宅硯の井戸跡

 ここは、滝沢馬琴が寛政十五年から文政七年の三十一年間住まい、名高い里見八犬伝などの書を著述したところで、この奥に当時の井戸があった。




◆南堀留橋







散歩はまだまだ続く。