2018/06/28 01 荒川散歩 06 井上省三君碑/日本羊毛工業発祥の地/千住聖絨所跡/若宮八幡神社/板紙発祥の地/地蔵堀児童遊園/隅田川

歴史のある大きな工場があったとのことで、史跡が並んでいた。
ちょっと交通の便は悪いところだね。



◆井上省三君碑






 この碑は、官営国場千住製絨所初代所長・井上省三の功績を後世に伝えるものである。
 井上省三は、長州(現山口県)出身で、木戸孝允に従って上京、後にドイツに留学し毛織物の技術を修得した。明治十二年(1879)の千住製絨所の開業、日本羊毛工業の発展に尽力したが、明治十九年(1886)に42歳の若さで死去。明治二十一年(1888)に制絨所の職員・職工の有志が、井上省三の偉業をしのびこの碑を建立した。
 上部の題字と撰文は、井上省三と同郷で、交遊のあった、後の外務大臣青木周蔵と東京農林学校(後の東大農学部)教授松野礀による。




◆日本羊毛工業発祥の地




 明治12年(1879)この地に官営の千住製絨所が設立された。
 それまで輸入に頼っていた羊毛製品の国産化を意図して建てられたもので、初代所長 にはドイツで毛織物の技術を学んだ 井上省三(1845〜1886) を迎え、ここに日本の羊毛 工業が始まった。
 昭和20年操業が停止するまでの70年間、大規模な毛織物の製造が行われ日本の羊毛工 業の発展に寄与した。
 地域の人々から「ラシャ場」と呼ばれた赤煉瓦洋風建築のこの工場は、荒川区が近代 工業地帯として発展するきっかけとなった。




◆千住聖絨所跡




 この付近一帯には、明治十二年(1879)に創業された官営の羊毛工場である千住製絨所があった。
 工場建設用地として強固な基盤を持ち、水利がよいことから、隅田川沿いの北豊島郡千住南組字西耕地(現南千住6-38〜40、45付近)が選定された。敷地面積8300余坪、建坪1769坪の広大なものであった。明治二十一年(1888)に陸軍省管轄となり、事業拡大とともに、現荒川スポーツセンターあたりまで敷地面積が拡張された。
 構内にも生産工場にとどまらず、研究施設や福利施設などが整備され、近代工場の中でも先進的なものであった。
 戦後民間に払い下げられ、昭和三十七年、敷地の一部は野球場「東京スタジアム」となり、人々に親しまれてきた。
 一部残る煉瓦塀が往時を偲ばせる。




◆若宮八幡神社

若宮八幡神社八幡太郎義家伝説

 若宮八幡の名のとおり仁徳天皇を祭神とする。平安時代、奥州攻めに向かう八幡太郎義家(源義家)が、荒川の「渡裸川の渡し」を渡る際、目印に白幡を立てたとも伝える。足立区千住仲町の白幡八幡は、この白幡が納められた神社という言い伝えを持ち、この付近が古くから渡河地点であったことを推測させる。
 婦人の病に効験があるとされ、祈願して治った時には二股大根を描いた絵馬を奉納するという。近隣の崇敬を受け、平成十九年(2002)に社殿の新造営が行われた。





神社の一部は公園になっていた。





◆板紙発祥の地





 明治21年8月10日 東京板紙会社 社長佐久間貞一が, この地に工場を設立し, 翌22年(1889)6月新式抄紙機を英国から輸入するとともに外国人技師を 雇い, 稲藁を原料としてボール紙の生産を開始した。
 わが国に於いて本格的にボール紙(板紙, 段ボール原紙等)を機械製造したの は, これが最初のことである。以来需要は年を追って増加し, 昭和63年(1986) には, 100万屯を超えるに至った。
 原料も藁工品(空俵等)から故紙へと変遷した。その間に多くの関連業界が 成長し, 地域の発展に寄与した。
 このたび, 荒川区のご協力により旧工場跡地に製造開始100年を記念すると ともに, 先人達の苦労に深い敬意と感謝を表しこれを建立した。





◆地蔵堀児童遊園




隅田川







続く。