2018/10/30 駒込散歩 07 潮泉寺/大圓寺/向丘一丁目児童遊園/一音寺/妙清寺/白山駅

本駒込駅付近から南西方向の白山駅まで歩く。
歩くと大した距離がないんだね。



◆潮泉寺



縁引地蔵尊





大圓寺



ほうろく地蔵




 「八百屋お七」にちなむ地蔵尊。天和二年(1682)におきた天和の大火の後、恋仲になった寺小姓恋しさに放火の大罪を犯し、火あぶりの刑を受けた?お七″を供養するために建立されたお地蔵様である。
 寺の由来書によると、お七の罪業を救うために、熱した焙烙(素焼きのふちの浅い土器)を頭にかぶり、自ら焦熱の苦しみを受けたお地蔵様とされている。享保四年(1719)に、お七供養のために、渡辺九兵衛という人が寄進したといわれる。
 その後、このお地蔵様は、頭痛・眼病・耳・鼻の病など首から上の病気を治す霊験あらたかなお地蔵様として有名になった。
 お七が天和の大火の時に避難し、墓もある円乗寺はすぐ近くにある。



山門



高島秋帆(たかしましゅうはん)の墓



斉藤緑雨(さいとうりょくう)の墓





説明板

高島秋帆(たかしましゅうはん)の墓>
秋帆、1798〜1866年(寛政10〜慶応2)。長崎の人。諱(いみな)は茂敦、通称四郎太夫。秋帆は号。幕末の砲術家アヘン戦争で清国が敗れたことを知り幕府に様式砲術の採用を建議し、1841年(天保12)武州徳丸原(とくまるがはら)(板橋区高島平あたり)で洋式砲術演習を行った。
 翌年、鳥居耀蔵(ようぞう)のいわれなき訴えによって投獄され、のち追放に処せられた。ペリー来航とともに許されて、1857年(安政4)富士見御宝蔵番兼講式処砲術師範役を命ぜられた。


斎藤緑雨(さいとうりょくう)の墓>
 緑雨、1867〜1904年(慶応3〜明治37)。三重県の人。名は賢(まさる)。別号を正直正太夫(しょうじきしょうだゆう)。明治時代の小説家で、戯作風の「油地獄」「かくれんぼ」などで文壇に名をなした。
 かたわら種々の新聞に関係して文筆を振るう。終生妻子を持たず、俗塵(ぞくじん)に妥協することなく、文学一筋に生きた人である。森鴎外幸田露伴とともに「めざまし亭」の匿名文芸批評執筆者の一人で、樋口一葉の「たけくらべ」を絶賛した。  墓碑銘は幸田露伴





道路を挟んだところに墓地があり、その中にお墓があった。
説明板は山門の前に建っていた。





◆向丘一丁目児童遊園





◆一音寺






◆妙清寺


稲荷社







白山駅

ゴールの都営三田線白山駅



坂の多いイメージの文京区だが、今回散歩したエリアはほとんど坂もなく歩きやすかった。
エリア内にある東洋文庫で面白い企画展やっているので、細君と今度行く予定。
また駒込駅スタートになるね!