2020/04/17 平和島散歩 01 京急蒲田駅ジオラマ/梅屋敷駅/梅屋敷梅交商店街/谷戸閻魔地蔵尊/貴菅神社/大森東三丁目児童公園/厳正寺

24時間勤務アケで京急蒲田駅に寄って、京急梅屋敷からJR大森駅まで歩く。


ここでは京急蒲田駅ジオラマ見てから梅屋敷へ移動。
梅屋敷から北東方向へ移動する。



京急蒲田駅ジオラマ






こちらは駅の中にある。
判らずに外をウロウロしちゃった。



梅屋敷駅




スタートの京急梅屋敷駅




◆梅屋敷梅交商店街




谷戸閻魔地蔵尊




谷戶の閻魔大王.延命地歲尊の由緒
 江戶時代、東海道品川宿川崎宿の中間に位置する東・西・北の大森村の中に、「谷戸宿立場(やとしゅくたてば)」と呼ばれた地域があり、馬繋き場や水飲みがあって、人足や旅人が休息する場所で「間(あい)の宿」とも呼ばれていた。現在はバス停留所に「本宿」と言う名をとどめている。
 この谷戸の地に、「四日講」の庶民信仰がいつの時代から生れたのか記録は残っていない。堂内のお地蔵さまには、寛文五年(1665)の銘があることから、凡そ三百四十年もの間、ここにお把りされていたことになる。間魔大王像には製作年代の明記はないが、像の古さから推測すると、古き時代からこの地に安置されたものと思われる。三百四十年もの間、幾多の戦火や災害を乗り越えて、損傷はあるものの、歴史が刻み込まれた像には、慈悲の微笑を感じてならない。
 人が亡くなってから四十九日間を中陰(ちゅういん)という。五七(いつなのか)日に当たる三十五日亡者は間魔大王の審判を受け、お地蔵さまのご慈悲におすがりして、仏への道を一歩一歩浄土へ近づくのである。
 平成十六年六月、第一京浜国道の拡幅に伴い、お堂を新築いたし二像を東方に向けて安置した。それに伴い地放尊が激しく痛んでいた為平成十八年十二月に修復した。
 長年親しまれてきた「四日請(よっかこう)」の請名を、お地蔵きまと閻魔さまが共に、中陰の五七日忌の仏さまであることから、「五七日講(ごひちにちこう)」と改めた。
 乞い願くは、末長く国家安稳、万民和楽、谷户の人々の子孫繁栄を祈念するものである。






◆貴菅神社








◆大森東三丁目児童公園




◆厳正寺



鐘楼門



「水止舞の寺の碑」と「梵鐘」の説明板

水止舞を調べると約680年の歴史を持ち、昭和38年に東京都無形民俗文化財に指定されたとあった。
こちらのHPに詳しく載っていた↓
厳正寺 水止舞(Mizudome-no-mai(Gonsho-ji Temple)



梵鐘

 高さ、143センチ、ロ径47センチ。楚鐘の側面(「池の間」とよばれる部分)に刻まれた銘文によって、当寺十七世祐尊の代、安永元年(1772)十二月に、武州品川に住む鋳物師渡部亦市が鋳造したことがわかる。
 寄進者は、大森村などの壇信徒で、川端九日講中、堀之內十三日講中、同十四日講中、同十五日講などの講の名が見え、この地域における真宗系講集団の存在を示す資料でもある。




山門


続く。