24時間勤務アケでJR大井町駅から京急新馬場・京急北品川駅経由でJR品川駅まで散歩。
ここでは品川駅からゼームス坂通りを北西に進む。
◆すずらん通り
商店街♪
こちらは大井銀座側。
◆ゼームス坂
左がゼームス坂。
第一京浜までの道はゼームス坂通りとなっていた。
手前の通りは大井銀座。
ゼームス邸跡地について
此の処は南品川英国人ジョン・M・ジェームス邸跡地である。
M・ジェームスは慶応2年(1863年)28歳の時来日した。そして坂本竜馬等とも知り合い、後に日本海軍創設に貢献し明治5年海軍省雇入れ以降幾多の変遷を経て住まいを此の地に構え隣人に慕われつつ明治41年70歳にて没した。
墓は身延山本堂裏山に在り「日本帝国勲二等英国人甲比丹ゼームス之墓」と刻まれている。
その頃のジェームス在りし日を偲ぶ庭の欅も品川区の保存指定樹として樹齢百数十年の姿そのままに苔むす石垣を共に昔の面影を今に止めている。
こちらは通りから少し離れて所にあった。
下記の「高村智恵子レモン哀歌の碑」の近く。
もとは浅間坂と呼ばれ、かなり急な坂でした。片側は切り落としになっていて、崖の向こうには品川の海が間近に迫って見えたそうです。
明治時代、この坂の途中に英国人のJ·M·ゼームスが住んでいたことから、ゼームス坂と呼ばれるようになりました。
◆高村智恵子レモン哀歌の碑
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
◆品川銀座
商店街♪
ゼームス坂通りのゼームス坂が終わったところ辺りから「品川銀座」となっていた。
第一京浜側。
続く。