2020/05/14 大崎散歩 03 平和坂通り商店会/戸越銀座商店街/宝徳稲荷大社/西品川三丁目石造り庚申供養塔/品川氏館跡/品川貴船神社/桜の木(樹齢古い)

大崎駅南側エリアを北西に進む。


◆平和坂通り商店会

商店街♪
こちらは平和坂の坂上




大正時代、この坂のあたりは東京府荏原郡品川町大字北品川の三ツ木耕地と呼ばれていました。
また、当時はこの坂から上の道は有隣社通りとも言われていました。
昭和二三年に「平和坂通り商店会」が結成され、この時にこの坂も平和坂と名称されました。






坂途中。



坂下。



 大正時代、この 地は東京府荏原郡品川町大字北品川の三ツ木耕地と言う地名であった、当時はこの坂から上の道は有膦社通りと言われていた、戦後二十三年有志総意で平和扳通り商店会を結成しこの時平和坂と名称された。








戸越銀座商店街

商店街♪
何度か来ているが、かなり大きい商店街だね。
大きすぎて全貌が良くわからない・・・・・・・・。
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戸越銀次郎(通称ぎんちゃん)
商店街に何体かあるっぽいね。




◆宝徳稲荷大社




こちらの戸越銀座・宝徳稲荷大社の本社は新潟県長岡市(旧越路町)宝徳山稲荷大社でございます。
商売繁盛に霊験あらたかと伝えられます。
「宝徳山稲荷大社」の歴史は、遠く縄文の昔まで遡ります。古記録によると、股帝大王(いててのひみこ)の命により、物部美万玉女命(もののべのみのわひめのみこと)が瓊名名(ぬな)の里に日の宮のみやしろを建てた時から連綿として今に至るといわれております。瓊名の里は、その後、 朝日長者が原、太田乃庄と呼び名が変わり、現在は越路原となっております。






◆西品川三丁目石造り庚申供養塔




 庚申供養塔は、庚申信仰のよりどころとして講中が造立したもので、江戸時代始め十七世紀後半に各地にさかんにつくられた。本供養塔は、延享四年(1747)の造立である。
 庚申供養塔は、農村の都市化の中で、一ヶ所に集められたり、寺院に移設されたりしているものが多い。しかし、本供養塔は、わずかな向きの変更。移動はあるものの、建立以来の位置から大きな変動はない。こ の場所は、付近の道標の位置などから地元の住民がよく承知している
古道の道筋にあたると考えられる。
 また、この供養塔の東側には、地元でのかかわりや経過を記した記念碑(紀念碑)が建てられているが、このような記念碑の添えられている供養塔は貴重である。



記念碑(紀念碑)

上記、説明板に記載のある記念碑がコチラ。
確かにこのような記念碑は初めて見たかも。






◆品川氏館跡

google mapではこの写真の場所辺り。
WEBで調べると、鎌倉時代に活躍した大井氏の一族、品川氏の居館があった場所らしい。
場所としては下記の貴船神社の所が有力とあったので、実際の場所はまだわからないようだ。
こちらのページが詳しい↓
品川氏館 | 大崎近郊、大井氏庶流の品川氏の居館 – 日本の城巡り | MARO参上





◆品川貴船神社




當社は元明天皇の御代和銅二年九月藤原伊勢人の勧請に依り創建せられ、當地方最古のお宮であります。
御神威は古来より誠に廣く深く、品川(旧三ツ木村)の鎮守として氏子の崇敬厚く昔から信仰の中心として永く栄えて参りました。
御社殿は昭和廿念五月戦災を蒙りましたが、西品川氏子六地區の崇敬奉賛の熱意により再建せられました。



祖霊社



 平城京遷都が行われたその前年の和銅二年(709年)、当貴船神社が創建してより以来、貴船大神を崇め、神社を護持された祖先の御霊、並びに昭和四十一年に設立された貴船神社再建委員会の同委員、及び今日迄の総代。世話人の御霊を祀る。
平成十三年神楽殿再建に併せ、祖先の霊を敬う想いが忘れられることなく連綿と続き、更には益々の地域社会の発展を祈り、次世代の担い手により造営された。



三ツ木稲荷神社/大山祇社/満潮宮




楽殿



文政十一年銘道標




 本道標は、もとは居木橋村と品川宿の枝郷(えだごう)三ッ木との境に建てられたものが、 現在地に移転保存されたものである。
 高さ1.05メートル、石質は安山岩で、正面に「西めくろ(目黒)」左右に「左北品川 右南品川」背面に「文政十一子年三月松原氏」とある。正面と上部に梵字の種子で(サ)字が刻まれていることからみて、観世音菩薩供養道標であることがわかる。
 居木橋村の名主は、代々松原氏が務めており、道標背面に見られる松原氏は、名主であり、観音信仰と交通の便を兼ねて文政十一年(1828)
本道標を造立したものと思われる。




鳥居1



鳥居2


鳥居3


布袋像



 布袋尊は中国後梁(ごりょう)の禅僧で名は契批(けいひ)、号は長汀子(ちょうていし)(~917)
 福々しい容姿で常にお腹をあらわし、布袋(ぬのぶくろ)を背負い喜捨(きしゃ)を求めて歩き、世人から弥勃の化身として尊ばれました。
 布袋和尚とも呼ばれ、 円満の神で七福神のひとりとして神格化されたといわれております。
 この布袋像は 、国際自動車創始者の故波多野元二氏が若年の頃より尊崇の念篤く、巧成り社屋を建設するに際し社運の礎として建立したものであります。
 平成二十年、社屋移転にあたりこの地に根差した像を転化するにしのびず、地域の氏神である貴船神社境内の一郭に遷座されたものであります。
 慈来(じらい)地域社会の鎮護として人々を見守っております。



◆桜の木(樹齢古い)

google mapには「桜の木(樹齢古い)」となっていて行った見たら社があった。
何が祀られているのかまではわからなかった。


「?」

石の表面に何か文字でもきざまれていたのかなあ?



子育観世音菩薩

左側に建っていた。



続く。