2020/10/12 増上寺散歩 06 天光院/地蔵/港区役所/松原の復元碑/浅岡飯炊きの井/平和の女神像

少し西側へ出て日比谷通りに出た後は南下。
増上寺を目指す。



◆天光院

前の日記で「浄土宗近代教育発祥之碑地」がわからず、今回再訪してみた。
2020/10/06 芝公園散歩 09 芝公園(日本近代初等教育発祥の地・伝染病研究所発祥の地・浄土宗近代教育発祥之碑地 - ovanの社会科見学

境内の大門駅に近い柵のところに碑があった。
これじゃあわからないね。。。


浄土宗近代教育発祥之碑地

当山天光院は 天正12年(1584)8月 増上寺11世円也上人の開基
明治二十年(1887)七月十八日, 浄土宗の近代学校制度による 宗学本校が当院内に設置
同二十三年一月小石川移転まで 一宗の高等教育機関として始動
後には関東で、宗教大学、さらに大正大学へと発展、関西で仏教専門学校、さらに仏教大学へと発展する淵源となる。
まさに浄土宗近代教育の発祥の地である。
大正大学十二代(当山二十一世)、二十五代、二十六代(当山二十二世)の三学長が当墓所に眠るも有縁。 御縁の浄土宗御門主中村康隆猊下に表の揮毫を戴く。



ピントが手前の葉っぱに合ってしまって奥が撮れない(涙







◆地蔵

天光院門前から少し離れたところにいらっしゃった。







◆港区役所








◆松原の復元碑



 芝公園のうち、増上寺三門前に位置するあたりは古くから松原と呼ばれています。
 それは、寛永十七年(1640)増上寺二十世大増正南誉(なんよ)上人のとき、幕命によって三門の左右に松を植付けたことに始まるとも、青山家藩士の植樹で百本松原と称したことによるとも伝えられています。
 松はその後の災変によって焼失、あるいは枯死し主たる景観はくすのきに変りました。
 ここは江戸時代の番所跡と伝えられ、土るいにはさまれた通路がカギ形をしています。
 都は園地改修にあたり原形を残すとともに往年の松原を偲ぶものとして黒松を植え、月見をイメージしたモニュメントを設置しました。


こちらが多分そのモニュメント


日本で最も古い公園の一つ芝公園

 公園がまだなかった江戸時代、江戸は庭園都市とよばれるほどに多くの庭園がありました。 しかしこれらは大名や旗本などの屋敷がほとんどで、 江戸庶民にとって身近に楽しむことができた緑にふれあえるレクリエーションの場としては、寺社境内や徳川吉宗が設けた数少ない花見の名所などでした。
 明治に時代が移り、 新政府が打ち出した日本初の公園制度、明治6年(1873)の太政官布達第16号により、 公園が誕生しました。その後、 明治20年(1887)までに、 江戸時代からの花見の名所や社寺境内など全国81箇所の公園が指定されました。
 上野の寛永寺と共に江戸の名所だった増上寺を中心とした芝公園は、上野、 浅草、 深川、 飛鳥山と共に、 明治6年(1873)に東京で最初の公園として指定されました。徳川将軍家菩提寺増上寺の境内を取り込んだ形で公園化を図り、広大な敷地は1~25号地に区画されていました。現在も公園では号地のままで親しまれています。 当初は増上寺の境内を含む広い公園でしたが、戦後に新憲法が施行され、政教分離によって増上寺等の境内の部分が除かれ、現在の環状の公園になりました。







◆浅岡飯炊きの井



 江戸時代、ここに良源院(増上寺子院)があり、仙台藩伊達家の仕度所として、藩主等の増上寺参詣の折などに使われていた。
 万治三年(1660年) の伊達騒動の際に嗣子亀千代(後の綱村)を毒殺の危険から守ろうとして、母の浅岡の局がこの井戸の水を汲んで調理したといい伝えられる。
 昭和六十二年(1987年)新庁舎開庁にあたり、旧庁舎中庭にあったものを、ここに移設して保存した。







◆平和の女神像

左端に写っているのが上記の「浅岡飯炊きの井」



 あの悲惨な戦争が終結してから長い年月を経て、ややもすると薄れつつある記憶 私たちはその事実を歴史の中にうすめてしまうことはできません。港区では恒久平和の願いをこめて昭和60年8月15日、「港区平和都市宣言」を行いました。
 平和を願う港区民の心の結晶として「平和の女神」像をここに設けます。


北村西望 作 とあったので調べてみた。
『北村 西望(きたむら せいぼう、1884年明治17年)12月16日 - 1987年(昭和62年)3月4日)は、長崎県出身の日本の彫刻家。本名は北村 西望(きたむら にしも)。』
『1953年(昭和28年)に戦前より長く住んだ東京都北区から東京都武蔵野市に転居し、都立井の頭公園内に自身のアトリエを建立、後に東京都にアトリエと制作した約350点にのぼる自作品を寄贈、それらは井の頭自然文化園彫刻館で展示された。なお寄贈した作品はその後も増加、最終的に約500点となっている。』
北村西望 - Wikipedia

井の頭自然文化園には何度も行っているのだが、彫刻館には行ったことが無い。
今度行ってみようと思う。





続く。