2021/10/26 西葛西散歩 11 中組稲荷大明神/防災用井戸/新渡橋/一之江境川親水公園/乙女湯/慰霊碑/船堀日枝神社

新川の少し南側のほそい路地を南東へ進む。
新渡橋で新川を渡り、宇喜田通りを北東へ進む。




◆中組稲荷大明神















◆防災用井戸













◆新渡橋

下は新川。














◆一之江境川親水公園





ー之江境川親水公園地誌

富士塚
 火山のもつ激しさを自然の驚異の象徴とみて、 富士の三霊信仰が生まれたと考えるれます。江戸時代中期に食行身禄(じきぎょうみろく)という行者があらわれて庶民にこれを広め、 やがで富士講という集団が各地に生まれて、富士信仰の飛躍的な発展をみました。
 そうした富士信仰の一形態に、 富士山をした人工の山を礼拝するものがあります。富士塚とよばれる小さな築山で、 ここに登れば富士登拝と霊験が得られるといいます。江戸末期から明治時代にかけて関東各して築かれ。 江戸川区では特に盛んでした。
 日枝神社内にある「船堀の富士塚」(江戸川区登録形俗文化財)は、明治25年に地元の登山講によって築造されています。












◆乙女湯

銭湯♪













◆慰霊碑

次の船堀日枝神社鳥居脇にあった。














◆船堀日枝神社

一度来たことがある。



 旧船堀村東組の鎮守です。祭神は国常立尊、左右相殿に春日大明神と稲荷大明神を合祀しています。慶長十九年(1614)、船堀新田開発の際に守護神として山王権現を祀ったのが始まりといわれています。別当社は隣接の光明寺で、明治六年に日枝神社と改称しました。
■船堀の富士塚(区登録有形民俗文化財
明治二十五年、登山講によって築造されたものです。登山講は明治時代に廃絶したといわれています。高さに比べて面積は広く、椀状に盛土された容姿は、他の富士塚と違った印象を与えています。石碑は二基で、全山ボク石に覆われています。
乾海苔創業記念碑
海苔はかって江戸川区の特産でした。この碑は、明治30年建立で、高さ146cm、幅130cm、厚さが18cmあります。船堀村の乾海苔創業の由来と功労者名が刻み込まれています。
■力石
 江戸時代から近代にかけて、若者たちが力試しに持ち上げた石です。かつて日枝神社では、力試しの催しが盛んでした。十四基の力石と、力試しの記念碑である「力持ちの碑」(明治二十三年銘)が境内に集められています。


境内社



境内社


境内社


富士塚



 富士塚は、富士信仰 の団体である富士講 の人たちが、富士山の容姿をかたちどって築きあげた小高い塚です。富士山に登ったのと同じ霊験が得られるようにと願って築かれました。
 船堀の富士塚は、旧船堀村 の登山講の人たちが、明治二十五年(1892)に築きました。高さは約2mです。盛土された面積は広く、山肌はボク石 (溶岩 )で覆われ、登山道は「く」の字型に作られています。
 頂上には浅間神社 をまつり、五合目には浅間神社の石碑があります。体裁よく整えられた富士塚です。


鳥居1


鳥居2












続く。