ここでも線路沿いに南東へ進む。
坂上。
名主の滝公園の北端に沿って台地へ登る曲がりくねった坂道である。坂名の由来は,江戸時代の絵図にある三平村の名からとも、室町時代の古文書にある 十条郷作人三平の名からともいわれている。農家の人が水田へ下る通路であったが、名主の滝への道としても 利用されたようである。
本園は嘉永年間(1848~1854)王子村の名主畑野孫八が自邸に開いた江戸情趣豊かな庭園で台地の斜面を巧みに利用し自然の風景を取り入れ園内の滝は古来王子の七滝の一つとして著名です。
明治時代の手法を残す都内でも数少ない貴重な景勝地なのでご入園なさる方は左記の事項を固く守り本園の保存にご協力ください。
額面著色鬼女図
日本画家・蒔絵師として著名な柴田是真(しばたぜしん)作の額面著色鬼女団(がくめんちゃくしょくきじょず) は、天保十一年(1840)二月初午に、江戸住吉の砂糖商の同業組合である明徳講が、商権の拡大を願って奉納した絵馬です。
絵馬は、凡そ縦190cm、横245cmの大きさで、画面いっばいには、酒呑童子(しゅてんどうじ)の家来茨木童子(いばらきどうじ)が化けた鬼女の姿が描かれ
ています。
源頼光の家臣渡辺網(わたなべのつな)は、女に化けた茨木童子の退治に出かけ、 その女の片腕を切り取ってしまいました。六日後のこと、鬼女 は、切り取られた腕を取り返すべく、渡辺網の伯母に 化けて、網の屋敷を訪れま す。鬼女は、腕を取り返すや否や、伯母から変じて目を怒らせ、口を開き、疾風のごとく空中に発び去りました。この画の麗美な衣装とグロテスクな面貌(めんぼう)との対照が 場面の凄みを高め、 慄然(りつぜん)とさせ、是真の名を世 に知らしめる契機となったと伝えられます。
御石様
願いを念じつつ持つ石の軽重により御神意が伺えるといふ
参道入口
入ってすぐのところに幼稚園があるため、開園中は少し左へ行ったところにある稲荷坂を上って入ってくださいとのことだった。
近くに本社がある「なとり」が!
こういうことができる企業は好感が持てるね!!
坂途中。
左側が稲荷神社の敷地。
坂上まではいかなかった。
標識などは見当たらない。
続く。