まだまだ線路沿いに南東へ。
ここでは一度線路をくぐってまた戻る。
◆東北線(53)稲荷前ガード
こちらをくぐって線路反対側へ。
◆石人と望柱石
北とぴあパークという公園内にあった。
ここにある石造物は、朝鮮でつくられたものです。中央にある人の像は石人(せきじん)といい、た両端の柱は望柱石(まんじゅうそく)といいます。ふつう、二体・二本で一対をなします。中国では古くから宮殿・廟(びょう)・墳墓の近くに置かれていました。唐の時代からは、墳墓の参道に規則正しく置く風習が盛んになりました。それが朝鮮に伝わり、それ以降の墳墓にはこの形態でつくられました。ここにある石人は花こう岩に文官、を彫ったもので、日本の江戸時代にあたる朝鮮(李朝)時代後期のものです。また着用している衣の表と裏にある模様は役人の官位をあらわします。
望柱石は墳墓の参道の入口に標識として置かれて、葱の花の形のような擬宝珠をのせた八角形のものです。その八角形の一面に獣が浮彫りにされ、また擬宝珠の下に雲形の模がみられる点が特徴的です。
◆馬頭観音
google mapには載っておらず、青いマークの少し下あたりが観音様の場所。
◆東北線(52)権現坂ガード
今度はこちらを通って線路の反対側へ。
◆権現坂
坂はまっすぐではなく途中王子神社の方へ左折する。
◆三本杉橋の親柱
権現坂坂下の辺りだが、何も見当たらない・・・・。
google mapのマークは、上の写真の所辺り。
『飛鳥山(あすかやま)に沿って東におりた岩槻街道(いわつきかいどう)は、石神井川(しゃくじいがわ)を渡って左に曲がり、現在の森下通りを抜け、三本杉橋の石の親柱(おやばしら)の位置から北西に台地を登る。この坂が王子大坂である。
岩槻街道は江戸時代、徳川将軍の日光社参の道で日光御成道(*1)と呼ばれた。登り口に子育地蔵(こそだてじぞう)があったので地蔵坂とも呼ばれ、昔は縁日(えんにち)でにぎわった。また、坂の地形が、海鳥の善知鳥(うとう)の嘴(くちばし)のようなので「うとう坂」の名もある。』
北区の坂道王子大坂|東京都北区
続く。