2019/04/11 01 国立公文書館「江戸時代の天皇」

国立公文書館の特別展、「江戸時代の天皇」に行ったきた。






たしかに江戸時代の天皇・・・・・。
高校の日本史に出てきたっけ?
今まで興味を持ったことがなかったけど、良い機会なのでゆっくり見てきた。
公文書館の企画はいつも勉強不足を思い知らされる。


で、内容はベースがないからほとんど頭に入ってこない。
展示図録があるから後で勉強し直しこととするが、元号の選び方や告知の仕方など興味深い。
皇室と庶民の距離もワリと近かったことに驚く。
幻となった公武合体・・・。
元号はかなりたくさんあって覚えきらない・・・・。



スラスラ言えるようになったらスゴイね!



小渕さんが掲げた「平成」の書(本物



平成の典拠



「令和」



令和の典拠




毎年「友の会」の更新をしていたが、今回は3年継続にしてきた。
これからも国立公文書館を通じてたくさん勉強がしたい。

2019/04/05 一人花見 外濠(飯田橋~市ヶ谷)/神田川(東中野)/中野駅前

お休みだったので一人でお花見♪


中央総武線飯田橋駅から市ヶ谷までの外濠を動画で撮った。
ここ数年は毎年撮っている。

20190405 お堀の桜



次に東中野駅から神田川の桜並木を!














中野駅前。

サンプラザ無くなっちゃうんだっけ?











高円寺(お寺)脇の桜

うちの近所。
高円寺というお寺の門すぐ近くにあった桜。
こんなに見事な桜の木があったんだね!!





以上。
お手軽な一人花見なのでした(w

2019/04/04 善福寺川散歩 06 善福寺川/南阿佐ヶ谷駅/株式会社タマス/杉並消防署馬橋出張所/馬橋消防署前歩道橋/清見寺

善福寺川から離れて南阿佐ヶ谷駅方面に向かう。その後は青梅街道を東へ進んだ。




善福寺川






相生橋の先。
ここから善福寺川を離れる。




南阿佐ヶ谷駅

東京メトロ丸の内線の南阿佐ヶ谷駅
手前の広い道路は青梅街道。





◆株式会社タマス

卓球を少しかじったことがあるので、卓球用品の会社というのはすぐ分かった!
バタフライって社名だと思ってたけど、「タマス」なんだね。




◆杉並消防署馬橋出張所





◆馬橋消防署前歩道橋









清見








 馬橋の灸寺で知られる瑞雲山清見寺は、曹洞宗の寺です。本尊は千手観音像で、中野区の成願寺の末寺です。
 寺伝によれば開創は寛永初年(1624-1635)で、開山は成願寺6世鉄叟雄鷟和尚と伝えます。当寺は開山後しばらくの間、檀家の数も多くはなく、しばしば無住の時もあったといわれ、その詳細はあきらかでありません。
 当寺は元禄年間(1688-1703)火災にあい、現本堂は昭和十一年に改築されたものです。
 文化財としては、馬橋村・阿佐ヶ谷村の村民の奉納した地蔵石像があり、ほかに江戸期に造られた風鐸(青銅鐘形の風鈴)が保存されています。
 寺前の青梅街道は、江戸初期に開かれた杉並地域の幹線道路で、近世のみならず現代でも生活上・産業上、重要な役割を担っています。
 なお、当寺には明治八年から同十七年まで、現在の杉並区立第1小学校の前身である桃園小学校第1番分校(同九年桃野学校として独立)が置かれており、杉並近代教育発祥の地の一つです。




さらに青梅街道を東へ進み、新高円寺駅から北進、高円寺まで歩いて散歩終了。
最近散歩が減ってる・・・・・。
このくらい歩いてもちょっと足が痛い。
鍛え直さねば!!

2019/04/04 善福寺川散歩 05 成宗白山神社/成園橋/成田下橋/成田上橋/御崎橋/善福寺川/相生橋

まだまだ善福寺川沿いに進む。
桜がどんどん増えていく!
テンション上がるね(w




◆成宗白山神社

境内には由緒などは見当たらなかった。
WEBで調べると大宮八幡宮と同じくらい古いらしい。



第六天社/金刀平神社/稲荷神社/御嶽神社






神社前に庚申塔があった。
今回の散歩は庚申塔多いなあ!




◆成園橋





幅が狭いね・・・。




◆成田下橋











◆成田上橋













◆御崎橋







 上流に向って左側の台地が尾崎と呼ばれています。「おさき」とは、突き出した台地の先端(小崎)を指す古い地名で、発掘された石器や土器また住居址からみて、この台地には約8,000年前から人が住んでいたことが知られます。またこの地名に付会して「源頼義 が奥州征伐のため当地を通過した際、源氏の白幡のような瑞雲があらわれ、これが因縁で大宮八幡宮を勧請することになったが、その白幡の見えたあたりを白幡(この付近)、尾のあたりを尾崎と名付けた」(大宮八幡宮縁起)との伝説があります。
 このあたりの風景は、五日市街道を通って小金井の桜見物に出かけた江戸の文人たちの随筆にも書かれており、辻知篤の享和3年(1803)の文には次の様に記されています。
「馬橋村のなかばより左におれて、山畑のかたへのほそき道をゆく。」「つづらおりめいたる坂をくだりて田面の畦をゆく。田の中に小河ありて橋をわたる。これを尾崎橋という。」



善福寺川




御崎橋と相生橋の間。
桜がものすごく綺麗だった!




相生橋










続く。