2022/05/01 杉並区郷土博物館 分館「郊外住宅地 杉並の成り立ち 同潤会住宅から公団住宅へ」



区民参加型ということで、一般社団法人「たてもの応援団」による展示。
スペースの制約もあったであろうが、かなり質が高く、情報量が多かった。
撮影ができたので情報をまとめ、あとで勉強しようと思う。
時間がかかりそう・・・・・。


写真
20220501 05 杉並区郷 - ovanrei's fotolife









杉並区郷土博物館のHPはコチラ↓
杉並区立郷土博物館|杉並区公式ホームページ



場所はコチラ↓



休館日
月曜日、毎月第3木曜日(祝日・休日の場合は開館し、その直後の平日に休館します)、年末年始(12月28日から1月4日)
とのことですが、行かれる方は事前にHPなどをチェックしてから行ってくださいネ!

2022/05/01 荻窪散歩 03 荻窪警察署/荻窪郵便局前歩道橋/なみすけマンホール/味噌っ子ふっく/なみすけマンホール/荻窪駅前歩道橋/荻窪駅

今度は荻窪駅北側エリアを東へ進み、荻窪駅でゴール。





荻窪警察署








荻窪郵便局前歩道橋

下は青梅街道。










◆なみすけマンホール



この行列は次のラーメン屋「味噌っ子ふっく」のもの。
すごい人気なんだね・・・・。








◆味噌っ子ふっく








◆なみすけマンホール









荻窪駅前歩道橋










荻窪駅








一度行ったことがある場所でも変わっていたりするから、何年かに一度くらいは来るべきなんだろうね。
特に杉並区住人なんだからもう少し地元を散歩してみよう。
杉並区のお散歩会、本格的に活動始めたら全部参加したいんだけどなあ。。。。

2022/05/01 荻窪散歩 02 城西病院/八丁通り商店会/上荻窪第三児童遊園/神社/六地蔵/荻窪八幡神社/東京工芸大学杉並アニメーションミュージアム

荻窪駅北口エリアを西へ進む。




◆城西病院









◆八丁通り商店会

商店街♪










◆上荻窪第三児童遊園









◆神社










六地蔵










荻窪八幡神社



 この神社は旧上荻窪村の鎮守で、今から約千百年前の寛平年間(889~898)に、応神天皇を祭神として建立されたと伝えられています。
 永承六 (1051)年、源頼義が奥州の安倍貞任(あべのさだとう)征伐の途中、ここに宿陣Lて戦勝を祈願し、のち康平五(1062)年の凱旋の時、神恩に感謝Lて当社を厚く祭ったといわれて います。また、文明九(1477)年四月、江戶城主太田道灌は、上杉定正(うえすぎさだまさ)の命をうけ石神井城主豊島泰経(としまやすつね)を攻めるにあたり、源氏の故事にならってこの神社に武運を祈願し、この時、槇(コウャマキ)の樹一株を植えたと伝わります。こ の樹は「道灌槇」とも呼ばれ、五百年以上の歳月が経過した現在も御神木とLて大切に保護されて います。昭和六十一(1986)年には、杉並区の天然記念物に指定されました。
 なお、当社には、永仁二(1294)年、嘉慶二(1388)年、応永二十九(1422)年銘の板碑、その他石造物、土器や石器類、社宝の勝海舟の大幟(おおのぼり)などがあります。勝海舟の大幟は、平成二十八(2016)年に杉並区の有形文化財に指定されています。

勝海舟荻窪八幡神社大幟
 幕臣で明治期 の政治家、勝海舟(1823~1899)直筆の大幟である。
 明治十五年 (1882)当時の荻窪八幡神社神職に男子が生まれた記念の品として、上荻狄窪村の氏子が勝海舟に揮毫を依頼し、海舟はミゴ等帯で一気に字を書き上げたと伝わる。海舟の日記である「海舟日記」にも関連 の記述が確認 できる。
 この大幟は、海舟が直接布地へ揮毫を行った真筆 の幟と考えこの大幟は、海舟が直接布地へ揮毫を行った直筆の幟と考えられ、揮毫の経緯が判明している点などから、現存する勝海舟筆の機のなかでも特に希少である。


延宝七年銘石造狛犬/荻窪八幡神社コウヤマキ/板絵着色製茶図

延宝七年銘石造狛犬
 延宝七年 (1679 )に造立されたと考えられる区内最古の狛犬で、本殿内に 安置されています。背から脚にかけ て「延宝七年九月 日 八幡宮 荻久保村」という銘文がみられます。 都内の石造狛犬としては、浅草寺(台東区)にある恵比寿大黑天堂の延宝三年(1675) 銘のものにつぐ古さです。
 高さ26cmほどの、前足を立てて後足を折供せる「犬座姿勢」をした小さな拍犬で、楕円形の頭に大きなロのあるユーモラ スな顔立ちをしています。素朴な中にも入念な彫像を施した造形は、江戸初期の作風をうかがわれるものです。

荻窪八幡神社コウヤマキ
 当社本殿前のコウヤマキは、 幹周囲 (目通リ)2m、树高20m、樹齢は三O○年以上と推定される巨樹です。コウヤマキは日本特産の常緑高木で、天然生育地は限られていますが、日吉社、権現社あるいはこれらに属する系統の社頭には、神木として植栽されることもあります。当社のコウヤマキもこの例と思われ、太田道灌石神井城攻擊に際し戦勝祈願の為献植したとも伝えられています。三〇〇年を超える樹鈴にもかかわらず樹勢も優れ、都内でも有数なコウヤマキとして貴重なものです。

板絵着色製茶図
 この絵馬は、収穫した茶葉を縁茶に加工する製茶の工程と製茶に関わる茶師を描いたもので、「揉み」「仕上げ」「計量」「運搬」の工程を行う計七名の人物が描かれています。
 この絵馬が奉納された明治十五年頃には杉並地域でも製茶が盛んでした。小規模ながらも、 人々の生産意欲は強く、この絵馬の奉納は、新しい農產物にかけた農民の心情占厚い信仰心を物語る南のと いえます。本絵馬は、杉並区の産業资料として、また当時の信仰や風俗を伝主为たいヘん貴重な资料です。


江戸。東京の農業クリの豊多摩早生

 東京はかつて、クリの大産地でした。
 大正から昭和の初期にかけて、主に北多摩の農村地帯では、雑木林にまじって広大なクリ園が、果てしなく続いていました。
 このクリは、当八幡神社の近くに住む市川喜兵衛(豊多摩郡井获村获窪)が明治20年頃、栽培中の茶園内に自生のクリ苗を発見、偶然早く稔る早生の栗ができた事から、明治41年、当時の郡名にちなんで「豊多摩早生」と命名しました。
 小粒で収量はあまり多くありませんが、秋まで待たずに、8月中旬から下旬には収穫できるので市場では高値で取り引きされ、全国的にも有名となり各地で栽培されていました。
 特に第2次世界大戰後、クリに大被害を与えた害虫クリタマバチに強い抵抗性をもっている豊多摩早生は、品種改良の親として用いられ、伊吹(農林省果樹試験場で、銀寄に豊多摩早生を交配)という優良品種を生み出しました。


祓戸神社/琴平神社/須賀神社/稲荷神社/御嶽神社



猿田彦神社


境内社


楽殿


道灌槙



 関東官領であり、武蔵の領主であった、上杉定政に対し家臣の長尾景春が武蔵を侵さんとして石神井城主・豊島泰経及びその甥の平塚城主・豊島泰明と款を通じて反逆した。
 之を激怒した上杉定政は江户城主太田道灌に出陣を命じた。
 道灌は文明九年四月十三日平塚城を攻擊し四囲より火を放った。この急報に豊島泰経は道灌軍の背後を突き、江戸城へ進擊せんとして江古田、沼袋の線で石神井城へ進擊する道灌勢と遭遇し後世「江古田の合戦」と伝えられる戦斗を開いたが豊島軍利あらず、道灌軍は騎虎の勢をもって石神井城に迫った。
 文明九年四月十六日、道灌軍は東及南より石神井城を攻擊するに当って、道灌は当社に詣で戦捷を祈願して軍神祭を行ない、槇樹一株を献植した。
 これが今当社に伝わる道灌槇で、一根二幹であったが、昭和九年の暴風雨で一幹折損し一幹となり、樹齡五百年を経た今なお、「千年の社・百尺の高野槇」と称えられている。
 昭和六十一年三月、杉並区,天然記念物(植物)に指定された。


神門


鳥居1


鳥居2









東京工芸大学杉並アニメーションミュージアム

今回は外から眺めただけ。


建築物として身に来た時の日記
2020/10/28 杉並桃井散歩 06 桃井原っぱ公園/旧井荻町役場跡板碑/薬王院/荻窪警察署/杉並アニメーションミュージアム/荻窪八幡神社/雨宮建築設計事務所 - ovanの社会科見学


企画展示見学の時の日記
2016/01/15 part2 杉並アニメーションミュージアム - ovanの社会科見学









続く。

2022/05/01 荻窪散歩 01 荻窪駅/荻窪駅前商店街/教会通り商店街/東京衛生病院/杉並区郷土博物館 分館/天沼西公園/天沼新生会

休み♪
昨日のメトロ1日券が有効なうちにお出かけ。
荻窪駅南側エリアにある庭園を巡る。






荻窪駅

東京メトロ丸の内線荻窪駅












荻窪駅前商店街

商店街♪


]









◆教会通り商店街

商店街♪


]










◆東京衛生病院










◆杉並区郷土博物館 分館

日記は別で。
2022/05/01 杉並区郷土博物館 分館「郊外住宅地 杉並の成り立ち 同潤会住宅から公団住宅へ」 - ovanの社会科見学









◆天沼西公園









◆天沼新生会

商店街♪











続く。

2022/04/30 キムチ博物館





キムチに関する歴史や道具などを展示している博物館。
「妻家房」というお店のなかにあった、小さな博物館。
小さなわりには情報量が多く、見ごたえがあった。
特に地域によっていろんな種類のキムチがあることを初めて知った・・・・。
一人で入るには勇気がいるが、なかなか良い博物館だった。





そういえば、パンフレットなどなにももらってこなかったなあ。
あったっけかな??









妻家房 四谷本店のHPはコチラ↓
四谷本店 | 韓国家庭料理レストラン・韓国食品販売の「妻家房|SAIKABO」





場所はコチラ↓





休館日
情報が載っておらず、わからなかった。
あまりあてにならないがgoogle mapに出ている情報だと年中無休ぽい。
年末年始などの情報はなかった。
行かれる方は各自の責任で行ってくださいネ!

2022/04/30 泉屋博古館東京「日本画トライアングルー画家たちの大阪・京都・東京」




日本画トライアングルー画家たちの大阪・京都・東京




あまり絵のことはわからないので、感想は・・・・。
好きな絵があったかどうかと聞かれれば、なかったかなあ・・・・。




泉屋博古館
泉屋博古館(せんおくはくこかん)は、京都市左京区鹿ヶ谷(ししがたに)にある、東洋美術が中心の美術館である。住友吉左衛門寄贈の中国古代青銅器を中心に公開する。東京都港区六本木に分館があり、2021年4月より館名を「泉屋博古館東京」に変更した。運営は、公益財団法人泉屋博古館。』
泉屋博古館 - Wikipedia




旧住友会館



泉ガーデンタワー(いずみガーデンタワー)は、「六本木一丁目西地区第一種市街地再開発事業(泉ガーデン)」の一環で建てられた複合ビルである。本項では同時に整備された施設についても記載する。 名称の「泉」は住友の江戸時代の屋号「泉屋」にちなんだものである[3]。
第45回建築業協会賞(BCS賞)受賞。 』

『A街区 泉屋博古館東京
A街区に該当する土地には1917年、住友家第15代当主である住友友純が麻布別邸を構えた。別邸は関東大震災も乗り越えるが、太平洋戦争末期に一部が焼失。戦後の1965年、跡地に企業迎賓館である旧住友会館のほか、隣接して住友麻布ハイツアパートも建てられた。今般の再開発にあたって、旧会館、アパートは取り壊されたが、旧会館の庭園をできるだけそのまま残し、住友家の保有する能装束・絵画等を展示する泉屋博古館の分館が建設された。
分館の建設に際しては、既存樹と従来の地形の高低差を生かしつつ、庭園に面して自然の中の平屋建ての佇まいとなるよう工夫し、建物のボリュームも周囲に馴染むよう分節化されている[2]。なお、分館は改修のため、2020年1月から休館し、21年4月館名を「泉屋博古館東京」に改称。22年のリニューアルオープンを予定している。 』
泉ガーデンタワー - Wikipedia



HPはコチラ↓
泉屋博古館東京 <六本木> | SEN-OKU HAKUKOKAN MUSEUM TOKYO



場所はコチラ↓



休館日
月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始、展示替期間
と、ありましたが、行かれる方は事前にHPなどチェックしてから行ってくださいネ!

2022/04/30 島薗家住宅 特別公開

医学博士、島薗 順次郎の邸宅だった建物。
『島薗 順次郎(しまぞの じゅんじろう、1877年(明治10年)3月12日 - 1937年(昭和12年)4月27日)は、医師、内科学者、医学博士。和歌山県、現在の和歌山市出身。脚気がビタミン欠乏症であることを発見した。 』
島薗順次郎 - Wikipedia






撮影OKだったがSNSへのUPはご遠慮くださいとのことだった。





建物は矢部又吉による設計で2001年登録有形文化財に登録された。
敷地の半分を売却、和館部分を取り壊すことになったとのこと。
残念だ。
『矢部 又吉(やべまたきち、1888年明治21年)2月 - 1941年(昭和16年)3月24日)は、明治末期から昭和初期にかけて横浜で活躍した建築家。川崎銀行をはじめとした銀行建築を多く手がけたことで知られる。』
矢部又吉 - Wikipedia





島薗邸リーフレット






HPはこちら↓
国登録有形文化財 島薗家住宅 | たてもの応援団





島薗邸の場所はコチラ↓





今回は特別公開です。
普段は見学できないので、HPなどでイベントなどを確認してから行って下さい。