2022/05/01 荻窪散歩 02 城西病院/八丁通り商店会/上荻窪第三児童遊園/神社/六地蔵/荻窪八幡神社/東京工芸大学杉並アニメーションミュージアム

荻窪駅北口エリアを西へ進む。




◆城西病院









◆八丁通り商店会

商店街♪










◆上荻窪第三児童遊園









◆神社










六地蔵










荻窪八幡神社



 この神社は旧上荻窪村の鎮守で、今から約千百年前の寛平年間(889~898)に、応神天皇を祭神として建立されたと伝えられています。
 永承六 (1051)年、源頼義が奥州の安倍貞任(あべのさだとう)征伐の途中、ここに宿陣Lて戦勝を祈願し、のち康平五(1062)年の凱旋の時、神恩に感謝Lて当社を厚く祭ったといわれて います。また、文明九(1477)年四月、江戶城主太田道灌は、上杉定正(うえすぎさだまさ)の命をうけ石神井城主豊島泰経(としまやすつね)を攻めるにあたり、源氏の故事にならってこの神社に武運を祈願し、この時、槇(コウャマキ)の樹一株を植えたと伝わります。こ の樹は「道灌槇」とも呼ばれ、五百年以上の歳月が経過した現在も御神木とLて大切に保護されて います。昭和六十一(1986)年には、杉並区の天然記念物に指定されました。
 なお、当社には、永仁二(1294)年、嘉慶二(1388)年、応永二十九(1422)年銘の板碑、その他石造物、土器や石器類、社宝の勝海舟の大幟(おおのぼり)などがあります。勝海舟の大幟は、平成二十八(2016)年に杉並区の有形文化財に指定されています。

勝海舟荻窪八幡神社大幟
 幕臣で明治期 の政治家、勝海舟(1823~1899)直筆の大幟である。
 明治十五年 (1882)当時の荻窪八幡神社神職に男子が生まれた記念の品として、上荻狄窪村の氏子が勝海舟に揮毫を依頼し、海舟はミゴ等帯で一気に字を書き上げたと伝わる。海舟の日記である「海舟日記」にも関連 の記述が確認 できる。
 この大幟は、海舟が直接布地へ揮毫を行った真筆 の幟と考えこの大幟は、海舟が直接布地へ揮毫を行った直筆の幟と考えられ、揮毫の経緯が判明している点などから、現存する勝海舟筆の機のなかでも特に希少である。


延宝七年銘石造狛犬/荻窪八幡神社コウヤマキ/板絵着色製茶図

延宝七年銘石造狛犬
 延宝七年 (1679 )に造立されたと考えられる区内最古の狛犬で、本殿内に 安置されています。背から脚にかけ て「延宝七年九月 日 八幡宮 荻久保村」という銘文がみられます。 都内の石造狛犬としては、浅草寺(台東区)にある恵比寿大黑天堂の延宝三年(1675) 銘のものにつぐ古さです。
 高さ26cmほどの、前足を立てて後足を折供せる「犬座姿勢」をした小さな拍犬で、楕円形の頭に大きなロのあるユーモラ スな顔立ちをしています。素朴な中にも入念な彫像を施した造形は、江戸初期の作風をうかがわれるものです。

荻窪八幡神社コウヤマキ
 当社本殿前のコウヤマキは、 幹周囲 (目通リ)2m、树高20m、樹齢は三O○年以上と推定される巨樹です。コウヤマキは日本特産の常緑高木で、天然生育地は限られていますが、日吉社、権現社あるいはこれらに属する系統の社頭には、神木として植栽されることもあります。当社のコウヤマキもこの例と思われ、太田道灌石神井城攻擊に際し戦勝祈願の為献植したとも伝えられています。三〇〇年を超える樹鈴にもかかわらず樹勢も優れ、都内でも有数なコウヤマキとして貴重なものです。

板絵着色製茶図
 この絵馬は、収穫した茶葉を縁茶に加工する製茶の工程と製茶に関わる茶師を描いたもので、「揉み」「仕上げ」「計量」「運搬」の工程を行う計七名の人物が描かれています。
 この絵馬が奉納された明治十五年頃には杉並地域でも製茶が盛んでした。小規模ながらも、 人々の生産意欲は強く、この絵馬の奉納は、新しい農產物にかけた農民の心情占厚い信仰心を物語る南のと いえます。本絵馬は、杉並区の産業资料として、また当時の信仰や風俗を伝主为たいヘん貴重な资料です。


江戸。東京の農業クリの豊多摩早生

 東京はかつて、クリの大産地でした。
 大正から昭和の初期にかけて、主に北多摩の農村地帯では、雑木林にまじって広大なクリ園が、果てしなく続いていました。
 このクリは、当八幡神社の近くに住む市川喜兵衛(豊多摩郡井获村获窪)が明治20年頃、栽培中の茶園内に自生のクリ苗を発見、偶然早く稔る早生の栗ができた事から、明治41年、当時の郡名にちなんで「豊多摩早生」と命名しました。
 小粒で収量はあまり多くありませんが、秋まで待たずに、8月中旬から下旬には収穫できるので市場では高値で取り引きされ、全国的にも有名となり各地で栽培されていました。
 特に第2次世界大戰後、クリに大被害を与えた害虫クリタマバチに強い抵抗性をもっている豊多摩早生は、品種改良の親として用いられ、伊吹(農林省果樹試験場で、銀寄に豊多摩早生を交配)という優良品種を生み出しました。


祓戸神社/琴平神社/須賀神社/稲荷神社/御嶽神社



猿田彦神社


境内社


楽殿


道灌槙



 関東官領であり、武蔵の領主であった、上杉定政に対し家臣の長尾景春が武蔵を侵さんとして石神井城主・豊島泰経及びその甥の平塚城主・豊島泰明と款を通じて反逆した。
 之を激怒した上杉定政は江户城主太田道灌に出陣を命じた。
 道灌は文明九年四月十三日平塚城を攻擊し四囲より火を放った。この急報に豊島泰経は道灌軍の背後を突き、江戸城へ進擊せんとして江古田、沼袋の線で石神井城へ進擊する道灌勢と遭遇し後世「江古田の合戦」と伝えられる戦斗を開いたが豊島軍利あらず、道灌軍は騎虎の勢をもって石神井城に迫った。
 文明九年四月十六日、道灌軍は東及南より石神井城を攻擊するに当って、道灌は当社に詣で戦捷を祈願して軍神祭を行ない、槇樹一株を献植した。
 これが今当社に伝わる道灌槇で、一根二幹であったが、昭和九年の暴風雨で一幹折損し一幹となり、樹齡五百年を経た今なお、「千年の社・百尺の高野槇」と称えられている。
 昭和六十一年三月、杉並区,天然記念物(植物)に指定された。


神門


鳥居1


鳥居2









東京工芸大学杉並アニメーションミュージアム

今回は外から眺めただけ。


建築物として身に来た時の日記
2020/10/28 杉並桃井散歩 06 桃井原っぱ公園/旧井荻町役場跡板碑/薬王院/荻窪警察署/杉並アニメーションミュージアム/荻窪八幡神社/雨宮建築設計事務所 - ovanの社会科見学


企画展示見学の時の日記
2016/01/15 part2 杉並アニメーションミュージアム - ovanの社会科見学









続く。