2020/02/01 太子堂散歩 03 安吾文学碑の由来/東邦薬品本社/女中講地蔵尊/正一位稲荷神社/代沢十字路/三宿城跡

途中から北沢川緑道を離れ、西へ東へブラブラしながら南下する。



安吾文学碑の由来




 坂口安吾は大正十四年(1925)、代沢小学校で一年間代用教員として勤めた。その時のことを背景として書かれたのが「風と光と二十の私と」である。
 安吾文学碑に刻んだ文言はこの作品に書き記された一節である
 碑文両協の煉瓦は委吾が「蒲田の家」(現大田区東矢口二丁目)と称していた家の門住である。この家で「日本文化私観」「堕落論」「白痴」「風と光と二十の私と」などの作品が書かれた。門柱は所有者「新
潟日報社」が長年保存してきたものである。それを譲り受け、「東邦薬品株式会社」の協賛を得て、ここに門柱保存を兼ねた文学性を建立したものである。
 なお、この独は、武蔵野の風と共に若い魂が通り抜けて行けるようにデザインしたものである。




東邦薬品本社

ビル二つが東邦薬品さん。



医薬品卸売企業で売上高1兆円を超える企業。
東邦ホールディングス東証一部上場)の100%持ち株会社




◆女中講地蔵尊







正一位稲荷神社




中には入れなかった。




◆代沢十字路

淡島通り




三宿(みしゅく)城跡

多聞(たもん)小学校が建っていた。




名門吉良氏の世田谷城の支城だったと言われる。
いろいろブログ等見てみたが、この学校のあたりで合っているようだ。
現地には説明板など何もなかった。




続く。