前のエリアから北東方向へ進み、慈眼記念館から北上する。
四之橋を渡り明治通りに出る。
しかし、ここもお寺が多いなあ。
◆三光坂
坂下。
坂上。
本来は 坂下専心寺にあった三葉の松にもとづき三鈷(さんこ 仏具)坂だったというが、日月星の三光などともいう。
◆慈眼記念館
情報が乏しく、WEBで検索すると一番上に「畠山記念館」と出る。
google map、マークの場所。
上の写真の建物で合っていると思うが・・・・・。
この橋は、高輪の葭見坂から麻布本村に向かう、古い街道すじにあったという伝承があるので、始めて架けられたのは、江戸時代よりも前のことであろう。江戸時代になって寛永七年(1630)に、幕府の薬草栽培所が麻布側の坂の西に設けられると、橋は御薬園橋と呼ばれるようになった。その後、薬園に五代将軍綱吉の別荘富士見御殿(白金御殿ともいう)が建設されることになって古川を改修したとき、元禄十に年(1699)に、一之橋から4番目の橋なので、四之橋と名づけたとされている。
なお橋の西北角に土浦藩主土屋相模守の下屋敷があったために、相模殿橋と呼ばれることもあった。
続く。