2020/08/05 麻布散歩 03 圓澤寺/絶江坂/古川橋病院/絶江児童遊園(光明養護学校発祥の地)/曹渓寺(麻布獸医学園発祥の地)/延命院/若松寺

明治通りから絶江坂へ入る。
絶江坂周辺の史跡を巡る。


◆圓澤寺


境内稲荷








絶江坂

坂下。
すぐ後ろは明治通り



坂下。
標識はもう少し上にあった。




坂上



 承応二年(1654)、坂の東側へ赤坂から曹渓寺が移転してきた。初代和尚絶江が名僧で付近の地名となり坂名に変った。







◆古川橋病院







◆絶江児童遊園(東京都立光明養護学校 発祥の地)


東京都立光明養護学校 発祥の地



 学制公布後、わが国の児童の就学率は上昇してきましたが、肢体不自由児の教育は取り残されてきました。昭和六年(1931年)東京市教育局は市内15区の学齢児を調査して、1,200名の肢体不自由児の三分の一が未就学児であることを見出しました。そこで、当時就学免除の対象と考えラr手板肢体不自由児のために、小学校に類する各種学校(「小学校令」第17条)として、昭和七年(1932年)六月一日、東京市光明小学校を麻布区本村町203番地に創設しました。光明の名は、東京市長永田秀次郎によって命名され、わが国最初の肢体不自由児学級となりました。
 開設当時は、1年から6年まで6学級90名の児童が学び、書く学級で学習指導を行う教員のほかに看護婦が配置され、マッサージなどの治療を行いました。また、普通教科の他に生活科や職業科なども設け、養護と訓練を徹底的に行いました。児童のもつ才能を存分に伸ばす教育は、現在の肢体不自由児養育の基礎となっています。
 昭和十四年(1939年)九月、世田谷区松原に新校舎が落成移転し、当地には麻布分校が残りましたが、同二十年(1945年)戦災により消失しました。その後、東京都立光明養護学校と改称し、小学部、中学部、高等部を世田谷区松原に設置し、現在に至っています。






◆曹渓寺


山門


学校法人麻布獸医学園 発祥の地



 学校法人麻布獣医学園麻布大学の前身は、明治二十三年(1890年)九月十日、東京獣医講習所として、帝国大学農科大学助教授與倉東隆によって開設されました。東京市麻布区本村町204(日東山曹渓寺境内)にできた私立慈育小学校の一部を借りて校舎とし、全国から選抜推薦された獣医師に6か月間、解剖、生理、薬物、内科、外科、装蹄、病院実習、装蹄実習を教授しました。
 明治二十七年(1894年)一月に麻布獣医学校と改称し、同二十八年(1895年)十月には、与倉東隆すでに開設していた東京家畜病院がある麻布区新堀町に校舎を新築移転しました。その後、明治四十五年(1912年)3月に、麻布獣医家畜学校、昭和九年(1934年)四月に麻布獣医専門学校、同十九年(1944年)十二月に麻布獣医畜産専門学校と改称しました。
昭和二十年(1945年)五月、戦災により学園諸施設を消失したため、神奈川県相模原市に移転し、同二十五年(1950年)に光明を麻布獣医科大学として開学し、昭和五十五年(1980年)麻布大学と改称し、現在に至っています。







◆延命院








◆若松寺

門が閉ざされていたので外からお参り。







続く。