2022/03/29 茗荷谷散歩 01 茗荷谷駅/小日向安田ビル/播磨坂/大雲寺/念速寺/白山浴場

江戸川橋駅から電車で東京メトロ丸の内線茗荷谷駅へ向かう。
歩いて行かなくもないのだが、少し電車で休憩。
その後は茗荷谷駅周辺を散策。駅東側エリアを散策。







茗荷谷駅

東京メトロ丸の内線茗荷谷駅













◆小日向安田ビル

秋水塔がサッカーボール!











播磨坂

今年もきれいに咲いていた。
ここもよく花見に来ている。









オブジェ



!?

何がしたいんだろう・・・・。


旧白山御殿町

 町の大部分は、白山御殿の跡である。
 承応(じょうおう)元年(1652)館林藩徳川綱吉 が、別邸を与えられた。ここは白山神社の鎮座(ちんざ)地であったので、白山御殿(小石川御殿)と称した。綱吉が五代将軍に就任後、御殿は廃止されて幕府の御薬園となった。それで付近の土地を併せて白山御殿跡地と称した。
 周辺を合併して明治24年、新たに町をおこした。町名は、俗にいう白山御殿跡から白山御殿町とした。
 小石川薬園は、明治10年東京大学付属の小石川植物園となった。また、江戸時代小石川養生所(ようじょうしょ)が薬園内に開かれた。青木昆陽(あおきこんよう)が甘藷の試作を行なったのも、この薬園内であった。












◆大雲寺

門が閉ざされていたので外からお参り。



 大雲寺に伝わる仏像で、本尊として本堂に安置されている。この像は、ヒノキ材の一木造り、高さ95.6cm。一木造りは、平安時代初期から中期にかけて多く用いられた古風な技法である。
 頭部の奥行きの深さ、左の脚部などにみられる角の立った衣文などに、平安時代中期の余風が認められる。しかし、衣文をできるだけ省略し、彫りを浅くし、全体にまるみを強調した穏やかな作風から、定朝様の影響を受けた平安時代後期の作と考えられる。
 この像は、その作風の特徴から、また、本区所在の仏像として製作年代が最も古い時期に属することから、貴重な文化財である。












◆念速寺



 美幾女(みき)は、江戸時代末期の人。駒込追分の彦四郎の娘といわれる。美幾女は、病重く死を予期して、死後の屍体解剖の勧めに応じ、明治2年(1869)8月12日、34歳で没した。死後、直ちに解剖が行われ、美幾女の志は達せられた。当時の社会通念、道徳観などから、自ら屍体を提供することの難しい時代にあって、美幾女の志は特志第一号として、わが国の医学研究の進展に大きな貢献をした。
 墓石の裏面には、”わが国病屍の始めその志を嘉賞する”と、美幾女の解剖に当たった当時の医学校教官の銘が刻まれている。(墓は本堂裏側墓地、千川通り塀ぎわ)











◆白山浴場

銭湯♪












続く。