2018/09/01 千石散歩 02 行幸記念碑/旧守山藩邸碑文/嘉納治五郎先生像/網干坂/簸川神社/簸川坂/明治天皇行幸記念碑 旧土方久元邸

この日記のエリアは前の日記の占春園の敷地内のが三つある。
その後はやはり北東方向に進む。
坂だらけできつくなる(汗



行幸記念碑(占春園内)



昭和六年一○月三〇日、東京高等師範学校創立六○周年記念式典に天皇陛下行幸を仰ぎ、それを記念して建てられた。行幸に当たり、「健全ナル国民の養成ハ一二師表タルモノノ徳化ニ竢ツ事ニ教育ニ従フモノ其レ奮励努力セヨ」との直後を賜った。




◆旧守山藩邸碑文



 この碑は、延享三年(西暦1746年)春三月に建てられたといわれるから、今から230年ほど前になる。ここ吹上邸を上屋敷とされた守山藩主松平頼寛(三代目)が、その臣岡田宜汎に命じて記させたもので、高さ1.4m、幅0.77mの鉄平石に刻まれた碑である。この碑文には、藩祖頼元より頼寛に及ぶ三代の占春園にまつわる記事があり、特に占春園と命名された由来を持つ古桜樹や、桜花の春に催された佳会の盛宴などが興味深く記されていて、往時の大学頭邸の景観と歴史が追憶される。



 我公之園、名占春。其中所観、梅桜桃李、林鳥池魚、緑竹丹楓秋月冬雪、凡四時之景、莫不有焉。而名以占春者何也。園旧有古桜樹、蔽芾数丈。春花可愛、夏蔭可憩。先君恭公之少壮也、馳馬試剣、毎繁靶於此樹而憩焉。因名云駒繋。至荘公之幼也、猶及視之。於是暮年、花下開宴、毎会子弟、必指樹称慕焉。我公追慕眷恋、専心所留、遂繞此樹、増植桜数百株、花時会賓友、鼓瑟吹笙、式燕以敖、旨酒欣欣、燔炙芬芬、殽核維旅、羽觴無算。豈啻四美具乎哉。物其多矣、維其嘉矣。偕謡既酔之章、且献南山之寿。我公称觴、顧命臣宜汎曰、是瞻匪亦所為。後世子孫、徒為游楽之場是懼焉。子為余書於石。宜汎捧稽首曰、桑梓有敬、燕胥思危。誦美有辞、陳信無愧。謹寿斯石。万有千載、本支百世、永承景福之賜。



 占春園は春爛漫たる桜樹を始めとして四時の美をそなえた名園で、杜鵑も巣を作るという野趣に富み、冬春の候には多くの鴨が園池に聚まり、青山の池田邸、溜池の黒田邸と合わせて江戸の三名園と称されたという。
 本学は、その史実をここに記して占春園を永久に記念するものである。



漢文かな?
全く読めません・・・・・。
IMEパッドを駆使したがちゃんとあってるかどうかわかりません・・・。




嘉納治五郎先生像



明治二六年九月より、大正八年まで、再度にわたり通算二〇余念の長きにわたり、東京高等師範学校校長の要職にあられ、わが国師範教育の振興に大きな功績を残された。また講道館柔道の創始者、国際オリンピック委員としての活躍と功績は、あまりにも有名である。





網干



 白山台地から千川の流れる谷に下る坂道である。小石川台地へ上る「湯立坂」に向かいあっている。
 むかし、坂下の谷は入江で舟の出入りがあり、漁師がいて網を干したのであろう。明治の末頃までは千川沿いの一帯は「氷川たんぼ」といわれた水田地帯であった。
 その後、住宅や工場がふえ、大雨のたびに洪水となり、昭和9年に千川は暗渠になった。なお、千川は古くは「小石川」といわれたが、いつの頃からか千川と呼ばれるようになった。





◆簸川(ひかわ)神社

再訪したので新しいのとまとめました。
2023/12/17 簸川神社 - ovanの社会科見学






◆氷川坂/簸川坂


簸川神社・氷川坂(簸川坂)

・簸川神社
 社伝によれば、当神社の創建は古く、第五代孝昭天皇のころと伝えられ、祭神は素盞鳴命(すさのおのみこと)である。
 源義家(1039〜1106)が奥州平定の祈願をした社といわれ、小石川、巣鴨の総社として江戸名所の一つであった。
 もとは現在の小石川植物園の地にあったが白山御殿造営のため、元禄12年(1699)この地に移された。社殿は、さきの空襲にあい全焼失したが、昭和33年(1958)に再建された。
 境内の幟建一対は江戸時代、善仁寺門前町氏子中により奉納された貴重な石造物である。なお、1基は平成12年久堅町民会の尽力で修復されたものである。

・氷川坂(簸川坂)
 氷川神社に接した坂ということでこの名が付けられた。氷川神社の現在の呼称は簸川神社である。坂下一帯は、明治末頃まで「氷川たんぼ」といわれ、千川(小石川)が流れていた。洪水が多く、昭和9年(1934)暗渠が完成し、「千川通り」となった。神社石段下には千川改修記念碑がある。





明治天皇行幸記念碑 旧土方久元邸

WEBで調べたが、情報がないね・・・・・。



wikiで、「土方久元」を調べた。
天保4年10月12日(1833年11月23日) - 大正7年(1918年)11月4日)は、日本の武士(土佐藩士)・政治家である。爵位は伯爵。幼名は大一郎。通称は楠左衛門。号は秦山。 』
とのことだった。





続く。