『孝昭天皇3年(473年)の創建と伝えられる。源義家が祈願をしたとも伝えられる。
もとは当地より南東の水源地(現小石川植物園内)に鎮座していたが、承応年間(1652年~55年)に小石川白山御殿となり、当地へ遷座した。
江戸時代は氷川大明神と称し、別当・宗慶寺を有し、江戸七氷川に数えられた。明治に入ると氷川神社へ改称したが、大正時代に「氷川」は出雲国「簸川」に由来するという説から、簸川へ改めた。
東京大空襲で、本殿・社務所等が焼失、昭和33年(1958年)に再建されている。 』
簸川神社 (文京区) - Wikipedia
簸川(ひかわ)神社(氷川明神)
御祭神
大己貴命(オホナムヂノミコト) 〈大国主神〉
素盞嗚命(スサノヲノミコト)〈主祭神〉
稲田姫命(イナダヒメノミコト) 〈妃神〉
御祭神は勇武の神として崇められ、病患邪悪を取り除き、平和と繁栄の世を開き、福徳円満、商売繁昌、縁結び、文芸の神として信仰されています。
祭礼日
九月九日、十日(交通事情により前後の土・日曜日に斎行)
簸川神社の歴史
創建は第五代孝昭天皇の御宇三年と伝えられる古社です。もとは小石川植物園の地、御殿坂周辺の貝塚の上に鎮座し、八幡太郎源義家公(1039~1106)が奥州平定の祈願に参籠した社とされています。元禄十二年(1699)に現在の高台に移転し、巣鴨の鎮守と定められ、江戸名所のひとつに数えられていました。明治二十三年十一月、大正天皇陛下(当時東宮)が植物園に御成りの折、御臨拝賜りました。
もとは社号に氷川を用いていましたが、大正時代、神主毛利昌教が神社の由緒を出雲の国、簸川にあるとし、氏子中に語り簸川と改めました。
①本殿
社殿は関東大震災、昭和二十年の空襲と、二度にわたり焼失し、再興されました。その歴史から、火災に強い神社を願い、昭和三十三年に再建された現在の本殿には、当時神社としては珍しかったコンクリートが使用されています。
②神楽殿(水谷殿)
③参集殿
④五社神社
⑤五社神社狛犬
⑥千川改修碑
⑦一の鳥居
⑧合格階段(五十段)
⑨二の鳥居
⑩本殿狛犬
⑪庚申塔
⑫手水舎
⑬水神社
⑭白宝稲荷
イ枝垂桜(復興祈念植樹)
ロ東宮殿下御来臨碑
茅輪くぐり
茅輪をくぐり越えて罪穢を除き、心身の清浄ならんことを祈願するものです。
素戔嗚尊(すさのをのみこと)(簸川神社(ひかわじんじゃ)主祭神)が、「もし天下に悪疫が流行した際にはちがやを以て輪を作り、ければ免れるであろう」と、教え給うたという故事によります。
◆神楽殿
◆水神社/白宝稲荷神社
◆簸川神社の庚申塔群
場所はコチラ
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2018/09/01 アーカイブ
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