2023/09/29 多摩湖氷川神社


「宅部氷川神社」となっているページがあった。
参考
宅部氷川神社|東村山市多摩湖町の神社、旧村社



鎮守の杜 氷川の杜
神社のなまえ
氷川神社
氷川神社は、さいたま市大宮の氷川神社 (武蔵の国一の宮)をはじめ、東京都や埼玉県に多い神社です。

御祭神
須佐之男命(すさのおのみこと)(習わしとして氷川大神とも言います)
天照大神(あまてらすおおかみ)(伊勢の皇大神宮)の弟神様。農業の神様・疫病流行り病を鎮める神様として広く信仰されています。
なお、八岐大蛇退治(やまたのおろちたいじ)の神話で有名な神様です。

創建
何時頃かわかりません。江戸時代より前から祀られていました。

いろいろなお祭り
例祭
大祭・・・・・・・・九月十日前の日曜日(古くは太陰暦九月九日)。神社で行われる祭事の中で一番重要なお祭です。 神輿や山車が多摩湖町内を練ります。
宵宮(よいみや)・・例祭の前日の土曜日に行われます。

歳旦(さいたん)祭
一月一日。年の始めに、私たちの国や世界が平和で、地域の人々が幸せでありますようにと、お祈りするお祭です。

祈年祭
二月二十日ごろの日曜日。 今年の農作物(特に穀物)が豊かに実り、が発展し、国や地域が安泰でありますように祈る祭りです。

新嘗(しんじょう)祭
十月二十三日。宮中では新穀を神様に捧げる祭があり、 氷川神社でも農作物の実りに感謝するお祭をします。

初午(はつうま)祭
祈年祭の当日。境内の稲荷社の例祭。稲荷社は稲の神様(倉稲魂命)をお祀りしています。 農作物の豊かな実りを祈ります。

末社
例祭当日。 神明社・大六天など、下宅部(今の多摩湖町) のあちこちに点在していた祠を、氷川神社の境内に集めてお祀りしたものです。
※新明社の御祭神は天照大神、大六天は仏教の神様です。

七五三祭
新嘗祭の当日。七歳・五歳・三歳のお子さんの健やかな成長をお祈りするお祭りです。(御希望の方は、事前に崇敬会に申し込んで下さい)。

◎初詣で
新年の初詣でには、崇敬会の役員が奉仕して篝火と神酒・甘酒などを準備しています (午前○時から午前七時まで)。

◎その他
〇三条の蝙蝠
旧廻田村の象徴(シンボル)で、宅部川(北川)・前川・空堀川と、下宅部(しもやけべ)・廻田の上(かみ)・下(しも)の三集落を示す蝙蝠を図案化したもの。
〇三条(みすじ)の蝙蝠(こうもり)
鎌倉古道山口道・ 社務所の裏の小道は、山口(所沢市山口)から九道の辻(府中街道、小平境)に通じた古い道で、鎌倉古道の一つと言われます。

※崇敬会に入会される方は、いつでも地区の役員にお申し込み下さい。





◆稲荷神社



ご祭神
宇伽之御魂神(うかのみたまのかみ)(古事記)稲魂命(うかのみたまのみこと)(日本書紀)

沿革と由来
稲荷神を祀る神社を稲荷神社と呼び京都市伏見区深草にある。 伏見稲荷大社が全国各地に広がり、神道上の稲荷神社の総本宮となっている。伏見稲荷大社では狐は稲荷神の特使とされる。稲荷神は和銅四年(七一一)に山城国稲荷山(伊奈利山)、即ち現在の伏見稲荷大社に鎮座したと伝えられている。 元々は京都一族の豪族泰氏の氏神で現存する旧社家は大石家である。明治元年(1868)の神仏分離令により、稲荷神社は多数の神社系と少数仏教系に分かれた。稲荷大社では朱い鳥居と特使の白い狐がシンボルとして広く知られる。
元来は五穀豊穣を司る神であったが、時代が下がって商売繁盛・産業隆盛・家内安全・芸能上達の守護神としても信仰されるようになった。「稲成り」や「稲を荷なう」神像の姿から後に「稲荷」の字が当てられた。 稲荷神社は全国各地に点在するが、その中でも東日本に多く信仰されている。これは江戸時代、稲荷信仰が江戸を中心として流行ったもので江戸の町の至る所で見かけられる。 東村山村の農家では屋敷神として祀る家が多かった。日本の神社の内で稲荷神社は二九七〇社(主祭神として)三二,〇〇〇社(境内社合祀など全ての分祀社)を数え、屋敷神とし祀られているものや山野や路地の小祠まで入れると稲荷神社は更に膨大な数に上る。
※祭日 本社の祈年祭の当日(建国記念日の二月十一日以降の一番近い日曜日) に初午祭として行う。






◆境内末社(御嶽社/水神/神明社/第六天)



一、神明社
ご祭神 天照大神 豊受大御神
太陽を神格化した神であり皇室の祖神(皇祖神)とされているため農耕儀礼と密接に結びつき広く信仰を集めた
五穀豊穣・国家鎮護・開運福徳
石塔に明治四未(ひつじ)年(1871)二月吉日とある

二、大六天
ご祭神 仏教の神第六天魔王 (他化自在天(たけじじざいてん))が創建、明治の神仏分離令の際神世(かみよななよ)七代の第六代面足尊(おもだるのみこと)・吾屋煌根尊(あやかしこねのみこと)に変更した
家内安全・五穀豊穣・商売繁盛
石塔に寛政九己(つちのと)年(1797)一二月吉日とある

三、御嶽社
ご祭神 大己貴命(おおなむちのみこと) 少彦名命(すくなひこなのみこと) 廣國押武金日命(ひろくにおしたけかねひのみこと)
武州御嶽神社御師によって関東一円に信仰を広め御嶽講を組織した。 毎年の代参や日照りの年は雨乞いも行われた
厄除開運・家内安全・商売繁盛・交通安全・安産守護

三、水神
ご祭神 弥都波能売神(みづはのめのかみ)
豊作を祈願する田の神と集落を祈願する井戸や湧水池の神

明治元年(1868) 神仏分離令に基づく明治四〇年(1907) 神社合祀運動により北多摩郡東村山村廻り田字宅部を東西に流れる宅部川 (現北川) の北方八〇メートルとほぼ平行に走っている境の道(現多摩湖町三丁目・四丁目)沿いに点在していた「神明社」 「大六天」 「水神」を末社として氷川神社境内に遷座された
※祭日 本社の例大祭の当日(九月九日の前の一番近い土曜・日曜日)
令和四年(2022)六月吉日





◆神楽殿





◆鳥居





◆参道入り口





場所はこちら