2023/01/31 東伏見稲荷神社


東伏見稲荷神社(ひがしふしみいなりじんじゃ)は東京都西東京市に鎮座する神社である。1929年に京都の伏見稲荷大社の分霊を勧請して創建された。あわせて西武新宿線の上保谷駅の駅名が東伏見駅に変更されている。また、当社所在地の東伏見という地名は当社にちなんで1966年につけられた地名である。 』

伏見稲荷大社の祭神の中から、宇迦御魂大神、佐田彦大神大宮能売大神の3柱を勧請し、この3座を「東伏見稲荷大神」と総称している。 』

『関東地方の稲荷神を信仰する信者たちの希望により、1929年(昭和4年)に稲荷神の総本社である伏見稲荷大社から分霊を勧請して創建された[3]。勧請の新しさからか、規模は大きいが近代社格制度下で社格が与えられることはなかった(旧無格社)。 』
東伏見稲荷神社 - Wikipedia



 当神社は昭和4年官幣大社伏見稲荷神社(京都鎮座)の御分祀として創建された神社です。御祭神は衣食住など人間生活のすべてを守り給う大祖神で、皇城の守護・万民豊壌の大恩神と崇められ給う御神霊であります。
 伏見稲荷大神の御分霊を奉斎したいとの関凍方面稲荷信仰者の熱心な希望と、稲荷信仰者の参拝の便を計り、また迷信など誤った信仰の是正浄化を計ろうとする伏見稲荷神社の協力によって当神社が創建されました。
 東伏見と云う神社名は、京都伏見から東にお遷しした神社と云う意味です。御霊代が京都から着御と同時に西武線元上保谷駅東伏見駅と改称され、其の後地名も東伏見となりました。



神璽(おみたま)について
 稲荷大神の神璽をお請けして、守護神とする信仰は、古くから稲荷勧請といってさかんに行われ、現在もますます増えつつあります。
 神札(おふだ)は、一年ごとに新しくお受けいたします。
 神璽(おみたま)は、半永久的におまつりいたします。
  お位上げの信仰
 古くよりお位上げ(おくらいあげ)の信仰がさかんです。
 これは御分霊をおまつりしている間のご神恩に感謝するまごころから、今までの自分の守護神を一段高いお位に上げておまつりしていくという信仰です。
 ここに吉例の神璽勧請をおすすめいたします。
  しるしの杉  (正月・初午・二の午授与)
 杉は当神社の御神木であり、「しるしの杉」また「富の木」とも言われています。
 このしるしの杉をお請けになりますと、家業が繁栄し、商売は繁昌する、そして産業も発展するという強い信仰が古くからあります。
 杉葉につけてあります小面は、御祭神の中の御一柱であらせられおおみやのめのおおかみます大宮能売大神の神面で、福徳円満、天地の融和をあらわしたものであります。
 この「しるしの杉」をお請けになって幸福を得られますようお祈り下さい。
   思うこと 叶うしる
       身につく幸を祈る今日かな

お神札をいただいたら神棚におおさめします
 神様と毎日生活を共にしている意識、これがある家とない家では心の安らぎが全く違います。
 神棚はその家の中で神様がお住みになるところですから、明るく清らかな高いところがよいでしょう。
 神棚の向きは南向き 東向きが良いとされています。なお神棚がない家庭の場合には、簡易神棚も用意されています。 条件により、とりあえずお神札を柱などの高いところにお貼りするのも大切にする心があれば無礼にはなりません。

神棚のまつり方
 正式な神棚は、まず鴨居などを利用して棚をつくります。棚の中央にお注連縄は太い方を向かって右、
すえます。
細い方を左に掛け、紙垂をつけます。

お札の順位
 お神札を横に並べておまつりする場合(三殿造り)は中央に伊勢の神宮のお神札(神宮大麻)、向かって右に氏神さお神札、左に信仰する神社のお神札をおまつりします。

お供え
 神棚には毎日朝食前に、米(ご飯でも良い)、塩、水をお供えします。 その他珍しいもの、季節のもの、到来物などお供えします。おまつりの日にはこの他に御神酒、野菜、果物、魚、などもお供えします。

お参りのしかた
 お供えが終わったら、毎朝今日一日が家族一同にとって良日でありますよう神棚に手を合わせましょう。
(二拝二拍手一拝)
 結婚記念日や誕生日、旅行の出発・帰宅、合格、お給料、その他良い事の報告、お願いごと、迷いや悩みあるとき、ご神前にお参りいたしましょう。

古札の納めかた
 一年間お守りしていただいたお神札、守札などは一年ごに新しいものとお取りかえするものです。
 古い神符の守札などは神社にお持ちください。 浄火で焼いたします。
 神社は毎日いたしております。



◎神棚のおまつりを継承しましょう
 私たちの家には昔から必ず神棚が設けられ、神札がまつられてきました。 毎朝神棚の前に頭を下げることによって、その家の家族一同がつねに神さまと共に生活をし、神さまのご神威をお受けしているという感謝の生活です。
 お稲荷さんは、全国の多くの家庭・会社・お店などに祀られています。 一方で近年、核家族化の傾向が進んで、若い人たちが独立して家庭をもち、団地やアパートなどに住むようになると、そこに神棚を設ける場所がないとか、まつり方がよくわからないなどの理由から、神棚がなく、御神札を受けることも知らない家庭が目立つようになりました。
 社頭で「家では、神さまを大切におまつりしてきましたが、私どもは年老いてお守りすることができず、あとを継ぐ子どもたちは、お恥ずかしいのですが面倒がり、無調法があっては申し訳ないと思い、神璽をお返ししようかと思います」
とのお話を受けることがあります。
まつる人の血統が継続しているにもかかわらず尊い信仰が絶えるということは、たいへん残念なことです。
ご自身の信仰を次代に継承させ得ないで、「神上げ」の相談を申し出られる方々の淋しい表情が、 その胸中を物語っています。
 神棚のお祀りは難しくありません。 大切なのは神様に接する気持ちです。 気持ちさえ通じていれば、神様はご満足なさるでしょう。



〇朝、ご飯を炊いたときには、頂く前に少し盛ってお供えしたり、お茶の最初の一杯をお供えしたり。
〇正式には毎朝、米・塩・水をお供えしますが、でき範囲でなさるのも結構です。
〇今日一日が、家族一同にとって良い日でありますよう、神棚に手を合わせましょう。
〇すまいにクギ打ちや棚付けが出来ない場合には、タンスの上でもサイドボードの上でも良いのです。(高すぎる所は特にお年寄りには危ない面もあります)
 こういったことをお話ししますと、 それならできますと、ホッと安心して喜んでお帰りになる人がほとんどです。
〇大切なことは、お子さんたちが幼い頃からお供えやおまいりといった自然な敬神的態度を親と共にすることだと思います。
 その姿勢が、ひいては祖先の霊を尊ぶことと同一に重なってくる訳でもあります。
 あきらめて神棚を神社に納める前に「継承すること=それはむつかしくない」ことをぜひ相談なさってみることをおすすめします。
〇お稲荷さんは商売をなさっているいないにかかわらず、繁栄と安全をお守りいただく神さまです。
〇お稲荷さんはこわいというのは、誤まった迷信です。
〇お狐さんが稲荷大神かと勘ちがいしている人もいますが、稲荷大神のお使いがお狐さんなのです。
〇事情による外宮まつりから神棚まつり、神棚まつりから外宮まつりのいずれの変更も差し支えありません。
〇お稲荷さんをまつると犬を飼ってはいけないなどと、いうのも迷信です。
〇他の神さまと一緒の神棚でよろしいのです。(仏関係とは棚を別にするが仕切りをします)






◆お塚(お山)巡拝





◆金鷹社




◆権太夫




◆太郎稲荷社




◆要町稲荷社




◆三徳社




◆末広社




◆宇迦之御魂大御神




◆保食大神




佐田彦大神




◆白狐社




◆旧祠納め処




◆愛法稲荷大神・愛徳稲荷大神





十戒徹修




八幡大神





◆末広社




◆白狐社




◆開照大神




◆稲荷社(東伏見稲荷神社境内社・本殿裏)




◆白狐社




保谷氏館跡

google mapのマークはチェックしたときはあったんだけど、消えてるかな?
マークの位置は上の写真の所あたりだった。

参考
【都内城跡めぐり】 西東京市 保谷城館跡 | 夜カフェ ダイアモンドヘッド

保谷氏館 | 戦国時代末期の武士の城館跡伝承地 – 日本の城巡り | MARO参上







◆神楽殿







◆慰霊碑



中島飛行機株式会社は大正6年12月群馬県太田町に創立され終戦後富士産業株式会社と改称した
昭和13年5月北多摩郡武蔵野町西窪に武蔵野製作所が建設され昭和16年11月隣接地に多摩製作所が増設され陸海軍に分かれ生産を行った
昭和18年10月時局の要請により両製作所を合併して武蔵製作所と呼称するに 至った
この間従来の従業員に日本全国からの徴用工員男女動員学徒を加へその総数は5万人に及び日夜生産に励み国内第一の航空発動機工場となった
米軍は日本空軍の補給力を全滅するため武蔵製作所を本土編隊爆撃の第一目標とし昭和19年11月24日の空襲以来終戦まで十数回の爆撃が行われ爆弾五百発が 命中し二百余名の殉職者と五百名を超える負傷者を出し工場は全く廃墟と化してしまった
武蔵製作所はこの爆撃のため終戦後平和産業に転換することが出来ず富士産業株式会社武蔵整理部として整理業務に専念し毎年11月24日を迎える度に戦争の恐怖と罪悪を想起すると同時に平和日本の礎となった殉職者の霊を慰める祭祀を行った
昭和23年10月占領下であるにも拘わらず慰霊碑の建立を企図
中島飛行機株式会社武蔵製作所殉職者慰霊碑建設委員会を組織し有志の浄財をもって武蔵製作所稲荷神社跡に慰霊碑の建立を行い同時に殉職無縁者永代供養のため武蔵野市源正寺に供養碑を建立した
昭和23年12月東伏見稲荷神社司祭により遺族を迎え除幕式並びに慰霊祭を挙行した
爾来日武蔵整理部従業員有志によってささやかながら祭祀を続けて来たが慰霊碑の完全な保存と永代祭祀のため当初より多大の助力をされた東伏見稲荷神社の好意により境内に遷座することになった
昭和39年11月に遷座を完了し翌12月全国より遺族を招き遷座祭並びに二十年祭を挙行した
茲に慰霊碑建立の由来を記述して後世に伝え平和日本の礎となった中島飛行機株式会社武蔵製作所殉職者の霊を永えに慰めんとするものである







◆鳥居


◆大鳥居建造記念碑

 城守護の神社として墓地に鎮座以来四十数年神威益々顯兆の崇敬愈々熾なり
 此度大鳥居を建て替え併せて御神軍を奉建す可く計りし処 崇敬者等の熱誠益る・協力を得て盛大なる竣工奉告祭を執り行う運びとなりぬ 奈里の御光を仰ぎて神威の顕現する処洵に感激に堪えず 實祚の無窮と皇國の弥栄を祈り奉る
  東伏見稲荷神社 宮司 葦津大成
 記
 此度建て替えられた大鳥居は昭和四年当神社創建以来三回目のものである。大鳥居正面右側の碑文に祥述の如く、初めの大鳥居は仮鳥居てあったため昭和十一年に倒壊した。此の時崇敬者四百八十二名の奉替に依り、台湾桧材を以って堂々たる大鳥居が再建されたが爾耒三十数年の星霜を経て基根の部分の腐朽が甚だ なった。
 然し乍らこの鳥居に龍められた崇敬者の篤志を思う時、建て替えはためらわれたが、人車の往未頻繁なる今日、台風等の天災を考えるとその危険は往時と較ぶ可くもなく、関係者一同協議の末鉄筋コンクリートを用いて再度建て替える」て替える事に決した。
 之に応じて資を擎ぐる者二千余名に及び、前回と較べ奉賛者の増加はそのま、三十数年間の御社運の発展を物語るものものであろう。この中には先の大鳥居と今回の建て替え工事の再度に渉る奉る奉賛者もあれば
祖父又は父の浄志を継ぐと云う二代域は三代に渉る奉賛者もありこの様な稲荷信仰の脈々たる伝承と拡がりを思う時、御神威の赫々たる状にただ恐懼するのみである。
 前回の大鳥居再建碑文に、京都伏見稲荷神社宮司髙山昇氏が神者依人之敬増威云々と記された如く、この大鳥居は専ら御神徳の賜物に外たずねが日夕稲荷大神に仕え奉る神職の熱誠が興ってクありと信ずる。
 秩に寺尾宮司の後を受け継いだ葦津氏が宮司就任後初の社頭整備事業として此の大鳥居の完成をみた事は、氏を始め多くの稲荷大神崇敬者の誠が凝って形に現はれたものであろう。
 竣工を祝すと共に此等の人々に深く敬意を表し大鳥居再々建の記とし、碑陰に寄附者の誠意を録して永く伝え記念とする。