2023/11/12 東京健康ウォーク 2023 02 高井戸駅/堂ノ下児童遊園/鎌倉橋/西永福商店街/西永福6号踏切/西永福駅/大宮八幡神社

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/11/12/213000



高井戸駅

京王井の頭線高井戸駅





◆堂ノ下児童遊園



かわいいオブジェがいっぱい。





◆鎌倉橋

下は神田川


神田川川辺の散歩道

みっけ♪




 神田川にかかるこの鎌倉橋について、『武蔵名勝図会」には、「上高井戸の界にあり。古えの鎌倉街道にて・・・・ いまは農夫、樵者の往来道となりて、野径の如し」とあります。
 鎌倉街道は、東国御家人と鎌倉を結ぶ道で、鎌倉〜室町時代に繁栄しましたが、江戸時代以降、次第に衰え、後半期には前述の「野径の如し」といわれるように、一部分を残すだけとなりました。
 また、この付近には、鎌倉時代に陣屋櫓が作られ、後に太田道灌の支配地になってからは、家臣某が任に当っていた、という伝承が残されています。
 橋名の由来については、同書多摩郡之部高井戸宿の条に「鎌倉街道ゆえ、鎌倉橋という」と記されていることから、鎌倉橋と名付けられたという説があり、また一説には、長禄元年(1457)、太田道灌江戸城を築く際、工事の安全を願い、家臣に命じて下高井戸八幡神社を建立させ、武士の信仰の厚い鎌倉八幡宮の神霊を勧請したおりに、鎮座地に近いこの橋を鎌倉橋と名付けたと言われています。
 また、延宝二年(1674)四月の『武州多摩郡下高井戸村御縄打帳』には、「鎌倉橋北側」「鎌倉橋南側」という小字名がみえています。このことからみても、江戸時代初期には、すでに”鎌倉橋 "という字名がついていたと言えるでしょう。
 なお、『豊多摩郡誌』は、大正初期の鎌倉橋について、「木造、延長三間、幅員一間」と当時の様子を伝えています。




◆西永福商店街

商店街♪






◆西永福6号踏切

京王井の頭線の踏切。



すぐ近くに井の頭線西永福駅ホームが見える。





西永福駅

京王井の頭線西永福駅




◆大宮八幡神社

七五三で賑わっていた。
今回はお参りしただけなので、写真はあまり撮らなかった。
詳しく巡った時の日記はコチラ。
2022/01/29 中野本町散歩 06 大宮八幡神社 - ovanの社会科見学



なんのキャラ?


菊祭り





続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/11/12/223000