『社伝によれば、707年(慶雲4年)、武蔵国に来た鬼神を常陸峯に鎮めて、天智天皇の第四の姫宮と蘇我山田石川麿が建立したことに始まる[2]。以来、芋窪地域の鎮守として住民により守られてきた。
江戸時代には13石の社領を与えられていた。
1993年(平成5年)に行われた拝殿の大改修において、『新編武蔵風土記稿』に記載されていた通り]、文正元年10月3日の棟札が発見され、創建年が実証された。また、この改修で計5枚の棟札が発見され、改修前の拝殿は1858年(安政5年)に完成したことが確認された。 』
神社名 豊鹿嶋神社
主祭神名 武御加豆智命
由緒
御創建
第四十二代、文武天皇の慶雲四年(707年)夏八月社殿造立、第三十八代 天智天皇第四の姫、及蘇我倉山田ノ石川麿
都重宝(建造物)
御本殿付棟札、天文十九年建立の記がある。新編武藏風土記稿((卷一二〇)によると文正元年の棟札の存したことが記されているので天文十九年は再建であろう。
例祭日 九月十五日
境内末社 日吉神社、產泰社、稻荷神社、愛宕神社、白山神社、鹿島の要石、御本社南方約三丁余
豊鹿島神社本殿
豊鹿島神社は、狭山丘陵の一角を切り開いて建てられ、古くから芋窪の鎮守として信仰を集め、通称「鹿島様」と呼ばれ親しまきました。本殿は一間社流造で、都内に現存する最古、かつ唯一の室町時代に建立された神社本殿です。その規模は、桁行(間口)が170.7cm、身舎の梁間(奥行)が152.4cm、向拝の梁間はやや狭くて140.4cmです。この本殿の建築年代は、社家に伝わり、本殿内に保管されていた棟札により天文一九年(1550)に建立されたものと考えられてきました。しかし平成四年から六年にかけての解体修理時に発見された棟札により、文正元年(1466)に大工二郎三郎近吉の手により建立されたことが明かとなりました。同時に、古くは屋根が厚板葺であったことも判明しました。
豊鹿嶋神社創建祭記念の碑
当神社は慶雲四年(707年) 八月、武蔵国に来た鬼神を常陸峯に鎮天智天皇第四姫宮および蘇我倉山田石川磨により創建されたと社伝にある。
現在の本殿は棟札により五百五十年前の文正元年十月三日に建立と確認され、都内に現存する最古にして唯一の室町時代建立の神社本殿である。昭和三十九年、本殿が東京都指定有形文化財の指定を受け、以来この貴重な文化財を後世に伝承するため、全面改修工事を実施し平成七年竣工した。
さて平成二十三年の東日本大震災以後、防災上の問題が各方面で喫緊の課題になった。そこで本殿建立五百五十年・創建一千三百十年を迎えることを機に、創建祭推進委員会を発足し、スプリンクラーの設置、防犯カメラの設置、避雷針の設置、境内及び社殿内の環境整備を進めることになった。
これらの工事は、東京都、東大和市の補助金と氏子崇敬者等の奉賛により実施することが出来た。
長年親しまれている当神社の維持、未来への伝承のため、格別の思し召しを以て御奉賛頂いたことに深く感謝し、謹んで御礼申し上げるところである。
茲に本事業の完成に当たり記念碑を建立し、奉賛者並びに関係者の功績を永く顕彰する。
豊鹿島神社
慶雲4(707)年の創建と伝えられ、 市内で最も古い神社とされています。 江戸時代には13石の社領を持っていました。
本殿は天文19(1550)年に建てられ、 一間社流造、こけら葺、 軸部丸柱という、 関東地方でも現存が珍しい、 中世の神社建築様式のもので、 東京都指定文化財になっています。 また、 木製の狛犬と獅子頭が市重宝に指定されています。
狭山緑地の西側にあり、 古いたたずまいを残しています。
(ふるさとふれあい振興事業)
豊鹿島神社の獅子頭
この獅子頭三点は、江戸時代後期の作である。
市内で、古くから獅子舞が行なわれていたのは、豊鹿島神社と高木神社のみであった。雄獅子二頭、雌獅子一頭が一組となっている点で高木の獅子舞と共通している。
豊鹿島神社の獅子舞は、明治時代に途絶えたため、過去に獅子舞が行なわれていたことを示す唯一の資料となっている。また、その後も昭和三十年代まで、雨乞いの神事にこの獅子頭が使われており、民間信仰の一端を示す資料としても価値が高い。
◆豊鹿嶋神社本殿の狛犬
覆殿内にある本殿前に安置されている狛犬は、市内で唯一の木製である。
木製の狛犬は三多摩地方全域をみても、豊鹿島神社の他に、大国魂神社や谷保天満宮など数例が知られるのみで、きわめて貴重である。
阿形・吽形とも台板裏に宝暦十(1760)年、加治中山下宿(現在の埼玉県飯能市中山)の塗師により制作されたことを示す墨書銘があるが、木彫に携わった者の名がないことから、これは修理を行った際の記録で、実際の制作年代はさらに遡る可能性もある。
〈墨書銘>
阿形 鹿嶋宮 加治中山下宿 天犬
宝暦十庚辰七月吉日
吽形 鹿嶋宮天犬 武州多磨郡井野窪村
宝曆十庚辰七月
吉日 加治中山下宿 塗師 伊兵衛
豊鹿嶋神社だより
六月水無月、梅雨の季節 今年も夏越の大祓えを実施します
水無月とは 「水の月」のこと、田に水を引く月、水を沢山必要とする月という意味です。 ちょうど梅雨の頃というのも農業とりわけ米作りには大切な意味があります。
6月30日 16時開式 「夏越しの大祓え」 実施しますが、 一般の皆様が一同に会しての式典は控えさせていただきます。 とはいえ、 まさに感染症蔓延の様な厄を祓い清めるのも大祓えの役割の一つであります。 日々生活していくうちに知らず知らずのうちにしている罪穢れを祓い清め 心身共に清々しい気持ちで新たな時を迎えるためのとても大切な節目です。 お申込みの方には茅の輪守りとお供物をお付けします。
水無月の夏越の頼する人は千歳の命よというなり
6月19日に境内に茅の輪を設置します。 茅の輪くぐりと「人形(ひとがた)」で厄落としをします。 人形に自分の名前と年齢などを書き、それで体を撫でて人形に罪やケガレを移し、 身代わりとして神社に納めます。人形は、 篝火を焚いて神事で清め、 厄を落とします。
人形は6月15日以降神社にて頒布します (申込〆切6/30の16時)
(茅の輪写真は昨年のものです)
ふくろうが巣立ちしたようです。
5/22 夕刻神社で遊んでいた子たちが境内の御神木の樫の木の前でフクロウを発見、親御さんに伝えるとすぐに知らせに来てくれて確認すると可愛い産毛がまだ残るヒナがじっと動かずに佇んでおりました。
4年前に確認したのが 6/13、 ほぼ3週間ほど早い巣立ちでした。
元気に成長することをそっと見守りたいです。
◆日吉神社
「ふくろう」
御神木であるこの「けやき」の木は、樹齢千余年、神社の歴史と同じくらいと言われています。現在は、中ががらんどうになってしまい昔の面影はありませんが、昭和の初めまでは枝が大きく茂っていて、その周りを子供たちが十人位で手をつないでまわって遊びました。
当時は人家も少なく、あたりが暗くなるとオッポッポ(ふくろう)が、どこからか飛んできては、枝の上で眼を光らせていたので、通りすがりの若い娘たちを驚かせていたとのことです。
この「けやき」も明治の中頃には火事に、また昭和の初めには台風により大きな枝が折れ、すっかり様子が変わり、枯れてしまいました。現在は、後ろにある「けやき」が二代目として植えられたそうです。
―東大和のよもやまばなしから―
この作品は「オッポッポ」を想像し、東大和市美術工芸品設置事業の一環として製作したものです。
◆御岳山蔵王大権現
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