2024/05/11 杉並お散歩会(上井草~西荻窪) 02 西荻地域区民センター/井草幼稚園/原寺分橋/地蔵坂/井荻会館/井荻公園/坂の上のけやき公園

前のページからの続き。
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西荻地域区民センター・上向き童子


上向き童子



籔内佐斗司
おっと
うつむきゃ涙がこぼれる
いつでも楽観
上向き童子







◆井草幼稚園

逆光・・・・。




園舎が文化財
参考
井草幼稚園園舎 文化遺産オンライン







◆原寺分橋

下は善福寺川
両脇は「杉並区立井荻小学校」の敷地。







◆地蔵坂




 この坂道は、 別名 「御立場坂」 「寺分坂」 とも呼ばれていますが、一般的には地蔵坂と呼ばれています。 名称の由来としては、かつて坂の途中に地蔵堂があり、 地蔵菩薩庚申塔馬頭観音などが祀られていたことにあるようです。
 いつ頃から地蔵坂とよばれていたかは不明ですが、 舟形を呈した享保17 (1732) 年銘の地蔵菩薩があることから、江戸時代中期以降と考えられます。 また、 地蔵菩薩は北を向いていたところから、 「北向地蔵」 とも呼ばれていたそうです。 他には、貞享2(1685) 年銘、 宝永 2 (1705) 年銘、 正徳6 (1716) 年銘の庚申塔、 文政7 (1824) 年銘の馬頭観音などがありました。
 この馬頭観音には、 「東江戸」 「西ふちう」と彫られており道標の役目をしていました。 近代になってからは東多摩郡井荻村、 豊島郡石神井村、 北多摩郡吉祥寺村の3郡の境に立てられていたため、 「3郡境の馬頭様」 と呼ばれていました。 現在これらは、 観泉寺 (今川二丁目16番1号) に安置されています。
 また、 地蔵坂交差点に近い台地の先端部付近は地蔵坂遺跡と呼ばれ、 昭和 56~57 (1981~1982)年に実施した発掘調査では、旧石器時代 (約 18,000 年~27,000 年前) のナイフ形石器やスクレーパー (掻器) など多数の石器類と礫群 (調理や焚き火の跡)、 縄文時代早期 約 9,000 年前) の土器や石器が多数出土しており、 住居跡や炉穴 (屋外炉) も検出されています。 特に、 荻窪中学校の校庭から発掘された縄文時代早期前半の住居跡は、区内で初めて発見されたもので、 考古学的にも大変貴重です。


縁結び童子



籔内佐斗司
今は知らないあなたとあなた
ぼくが繋いであげようか
ご縁のいとの両端を結べばできるえにしのわ







◆井荻会館

参考
西荻手しごと市 - 西荻窪ノート









◆井荻公園・大朝露童子





彫刻

作品名などわからなかった。


彫刻

こちらも作品名などわからなかった。


大朝露童子



籔内佐斗司
不老長寿の仙薬は
早寝、早起き、朝の露
日の出とともに飲み干せば
精気横溢、回春萬歳







◆杉並区立坂の上のけやき公園








続く。
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