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https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/06/23/200000
坂上。
この坂道は、大正の頃まで、馬がひく荷車で台地へ上る唯一の坂道であるため、馬坂 と呼ばれた。昔は荷車が通るだけの狭い道幅であったが、耕地整理により道幅も現在に近いものになったといわれる。また、寺坂と呼ばれたこともあった。
◆吉川家住宅
こちらに詳細が載っていた。
吉川家住宅主屋 文化遺産オンライン
◆竹中家住宅
こちらに詳細が載っていた。
竹中家住宅主屋 文化遺産オンライン
◆位田家住宅
『位田家住宅(いんでんけじゅうたく)は、東京都大田区田園調布三丁目に所在する、1930年(昭和5年)建築の歴史的建造物(民家)。
昭和初期の中流住宅の典型を示しており、田園調布地区の宅地形成を伝える和洋折衷を基調とする外観を伝えている。2005年(平成17年)に、国の登録有形文化財(建造物)に登録された。 』
位田家住宅 - Wikipedia
田園調布駅に至るイチョウ並木はがっしりとたくましく、繁雑なバスの来を心のともしません。戦前の田園調布開発に際して植えられたものが成長した並木だが、良好な住宅地を形成するためには長期的な計画が欠かせないことの一つの証拠になっています。
切り絵 : 後藤伸行
◆多摩川台住宅地
真ん中くらいにあるのが「碑」
『接する世田谷区(旧・玉川村)に玉川田園調布(たまがわでんえんちょうふ)の町名があるが、田園都市株式会社が多摩川台住宅地として田園調布と一体的に造成・分譲を行った地域である。』
田園調布 - Wikipedia