35時間勤務アケで、東陽町から越中島まで散歩です。
職場から近いところですが、なかなか歴史があって面白かったです。
運河だらけで橋をたくさん渡った印象です。
昭和11年から昭和13年まで、プロ野球用の球場があったとのことですね。
こんなに前じゃあ、うちの父親も知らないだろうなあ。
◆江東運転免許試験場
ここにお世話になった人は結構いるはず!
洲崎球場跡はこの建物、道路を挟んで向かい側にありました。
◆洲崎遊郭開始以来先亡者追善供養塔
文字が読めません・・・・。
google mapだとこのように書いてありますが、
他のブログを見ると「洲崎病院跡の記念碑」と書かれているものもあります。
そもそもこのあたりに遊郭があったなんて初めて知りました。
明治19年(1886)に、石川島監獄の囚人によって、一帯の埋立工事が始まる。
だから木場駅近くの洲崎神社より南側は神社やお寺がないんだね・・・。
明治19年、帝国大学工学部が根津に移転してきたため、近くにあった根津遊廓が、風紀上の理由から移転を命じられる。
明治21年、この埋め立て地に引っ越し。
昭和32年の売春防止法が施行されるまでこの地で管理売春が続いたとのこと。
洲崎病院は遊女らの性病の検査を行っていた病院だったとのこと。
で、今は都営住宅が建ってました。
というか、根津神社の近くにも遊郭があったのは初めて知りました。
◆東京地下鉄東西線車庫
線路が東西線につながっているのは地図で分かりますが、
地下への入り口などがわかりませんでした。
今度この辺に行ったら探してみます。
しおかぜ橋
この留置線跡を超えるための跨線橋です。
人しか渡れません。
しおかぜ橋から東側の写真。
右側が京葉線。
この下のトンネルから東京駅まで地下になってます。
左側が留置線跡。
奥のほうには今も使われている留置線。
この留置線、総武線の亀戸駅まで繋がってます。
営業運転してほしい・・・・。
しおかぜ橋(↑同じ名前)
運河にかかっている橋もしおかぜ橋と名付けられてました。
ここも人しか通れません。
しおかぜ橋からみた京葉線
写真に写っているのは武蔵野線からの直通電車ですね。