24時間勤務アケで永福町から荻窪まで散策。
するはずが、暑さで参ってしまって途中から高円寺行のバスに乗ってしまった。
和田堀公園までの散歩。
冬の像
永福町にアトリエを構えていた佐藤忠良氏の作品。
改札を出たところに像があった。
◆永福御嶽神社
当社は、『新編武蔵風土記稿』多摩郡永福寺村の条に稲荷社(永福寺境内)とあって「上屋ニ間ニ二間半、内ニ小祠ヲ置、拝殿三間ニ二間、社前ニ鳥居ヲ立、村内ノ鎮守ナリ」とあるように旧永福寺の鎮守で祭神は宇迦之御魂命です。
社伝によれば享禄三年(1530)に永福寺の開山秀天和尚が、永福寺境内の鎮守として、伊勢外宮より豊受大神を勧請創建し、寛永十六年(1639)の検地の際に、永福寺村持ちの鎮守になったといわれます。
明治維新後、永福寺から分離して一社を成し今日にいたっています。
境内末社として、天王社・白山神社(以上合殿)、白鳥神社(一殿)、及び明治四十年十月に同村字水久保にあった北野神社(祭神・菅原道真公)が合祀されています。
境外末社に御嶽神社(永福1-39-17)があります。
この石塔は、正保三年(1646)に造立された、区内最古の庚申塔で、江戸色の庚申信仰の普及状況を示す貴重なものです。又、五輪塔形式の庚申塔というのも非常に珍しく、中世の名残りをみせる「武州多東部養福寺村」という地方名を刻んだものとしても数少ないものです。
この庚申塔は、当初、(永福3-42)にありましたが、昭和三十年ごろから現在地に安置されています。
続く。