2021/03/06 東十条散歩 04 富士見銀座/十条日枝神社/稲荷社/冨士見橋/馬坂歩道橋/十条八雲神社/平和橋

前のエリアから南下して環七へ出る。
環七を東へ移動。



◆富士見銀座

商店街♪











◆十条日枝神社



 日枝神社
 この神社は、古い記録によれば、元禄二年(一六八九年)に創建されたとされ、祭神は大山咋神です。
 かつて、山王塚と呼ばれたこんもりした草地の上の小さいお宮は、字割小沢の何軒かの農家に囲まれ、静かに祀られていました。

 十条仲原庚申
 この庚申塔の主尊は、青面金剛尊です。
 青面金剛は、人間の体内にひそむ「三戸」という悪い虫のたたりを防ぎ、病魔を退散させると信じられ、人びとは庚申の夜は一睡もしないで祈ったといいます。
 この石塔は、刻文によれば、延宝四年(1667年)武州豊島郡十条村の人たちによって建てられています。
 以来、この土地の人びとは、永くこの庚申様を信仰し、守られて生活してきました。
 昭和のはじめごろ続いたという庚申講は、昭和五十一年[1976年]、塔の造立三百年に因んで再び結成され、先祖の人びとの心を継いでお祀りをしているのです。


庚申塔











◆稲荷社




google mapには載っていなかった。
赤丸の所辺りとなる。










◆冨士見橋

道路は環七。
下はJR埼京線













◆馬坂歩道橋




こちらが馬坂だろう。
説明板などはなかった。


『昔は低地の村村から板橋宿(いたばしじゅく)へ通じる急坂で、坂下に荒沢不動の池があった。この道は姥ヶ橋地蔵尊(うばがばしじぞうそん)の付近で王子へ通じる稲荷道と交差し、御成(おなり)橋を経て板橋宿に至る。坂の名は豊島村馬場(ばんば)の「馬」に関係があるように思われるが、坂の地形が馬の背に似ていたからともいう。以前は農家の耕地への往復にも役立っていたが、付近の都市化と環状七号線の開設で役割も形状も著しく変化してしまった。
旧道は平和橋手前を右に下っていた。』
北区の坂道馬坂|東京都北区










◆十条八雲神社



 八雲神社は近世には、真言宗智山派無量山龍谷院西音寺持ちであった。江戸時代、文化文政期編纂の「新編武蔵風土記稿」に「牛頭天王社 西音寺持」とある。その後、王子神社末社として旧宿町(中十条二、三、四丁目辺り)の村持ちの神社となったが、現在は「八雲講」組織の管理運営により祭礼が執り行われている。太平洋戦争以前は環状七号線の真ん中辺りにあったが、昭和十六。七年頃現在の地に遷座となる。社地提供の高木家が代々講元を務める。
 八雲神社は、牛頭天王須佐之男尊を祭神とする祇園信仰の神社で、総本社は京都の八坂神社である。社名は、須佐之男尊が詠んだ歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」に因む。江戸時代までは牛頭天王社と称していたが、明治期の神仏分離令により現社名となる。この地でも昭和十四年以前は、テンノウサマ(天王様)として庶民の崇敬を集めていた。牛頭天王とは、日本の神仏習合における神様であり、元々はインドの祇園精舎の守護神であると言われている。疫病除け、病気平癒、また内緒で賽銭をあげると縁が結ばれるい縁結びの御利益あり。昔は諸願成就の丑三つ詣りが盛んに行われていた。北区岩淵町にも日光御成道第一の宿場、岩淵宿鎮守社の八雲神社がある


天明四年銘庚申塔











平和橋

橋は環七。
下は宇都宮・高崎線
さらに上は東北・北陸・上越新幹線













続く。