2020/05/12 馬込散歩 02 鐙坂/中井谷熊野神社/尾崎士郎・宇野千代旧居跡/こうま児童公園/湯殿神社/湯殿公園

尾崎士郎宇野千代旧居跡まで東へ進んだ後は北西に進む。



◆鐙(あぶみ)坂

坂下。




坂途中。





坂上




 大正末期から始まった耕地整理によって出来た坂道で、もとは狭い農道であった。坂の名は、伝説によると、梶原景季の愛馬磨墨(するすみ)が、鐙を谷に落としたところという。 鐙谷の地名から名づけられたものという。




◆中井谷熊野神社



稲荷神社





庚申塔











尾崎士郎宇野千代旧居跡




馬込放送局  尾崎士郎は、知り合いの文士たちに馬込住まいをしきに勧めていました。その甲斐あってか馬込の尾崎・宇野家には、以前から馬込に住む文士と新たに映ってきた文士たちとが代わるがわるやって来るようになります。
士郎は-人に愛されすぎるのが唯一の欠点のような男-で、いつしか馬込の-ガキ大将的な存在-になり、大将宅は-誰が来ようが、訪問客があれば酒になり、飲めばたちまち議論となる-のでした。
士郎の作品『空想部落』によれば、
-村の出来事が余るところなく彼(士郎)の書斎に伝達されると、、こんどはそれが嘘と誇張にこねかえされてみるみるうちに村中に広がってゆく-
そんな士朗宅についた呼び名が『馬込放送局』でした。



尾崎士郎と出会った彼女は、馬込の大根畑の中に家を一軒みつけます。農家の藁葺き納屋を改造して費用は百三十円。夢見る心身女流作家は、はじめて稼いだ原稿料で家を建てたのです。
部屋の中はバラ模様の壁紙にレースのカーテン、金属製のベッドと小さなオルガン、それに机を置いて-まるで椿姫でも寝ているような部屋-が出来上がります。
これが-何かというと家を建てたくなる-彼女の癖の始まりでした。





◆こうま児童公園




◆湯殿神社



境内社



境内社



庚申塔








◆湯殿公園

google mapにはこの公園奥が馬込城跡となっている。
大田区のHPには・・・
『戦国時代の後北条氏の家臣である梶原助五郎(三河守)の所領で、東は北野神社(南馬込二丁目)、西は湯殿神社(南馬込五丁目)、南は臼田坂下(中央一丁目、中央四丁目)、北は大田区立馬込図書館(中馬込二丁目)までに及ぶ中世城郭でした。城の構えは周囲が急な崖で、周辺の谷に沼を配し、敵の侵攻に備えていました。特に西側の部分はかつて根古屋と呼ばれ、このあたりが城主の館の跡と伝えられています』
とあった。
大田区ホームページ:馬込城跡









続く。