2021/04/20 東尾久散歩 06 玄琳牡丹屋敷跡/尾久橋/熊野の渡し/アルファースタジオ/東京都下水局東尾久浄化センター/隅田川旧防潮堤

墨田川まで北上。
尾久橋は渡らずに隅田川沿いを東へ移動する。



◆玄琳牡丹(げんりんぼたん)屋敷跡



 江戸時代後期、ここに佐治(さじ)玄琳という医者の屋敷があり、文化年間(1804~18)庭に見事な牡丹を植えていたため牡丹屋敷と呼ばれた。二列の花壇には、夏になると大小色とりどりの牡丹が咲き乱れ、なかには珍しい品種も植えられていた。特に、百輪以上の花を付ける一株が有名で、将軍の御物(ぎょぶつ)とされ、毎年詳細な書上(かきあげ)を提出していたという。将軍もたびたびここに御成(おなり)をしたが、実際に訪れた十万庵敬順(じっぽうあんけいじゅん)は、庭のしつらえを称賛しつつ、「将軍御物の牡丹は、元々上総国(現千葉県)産で、樹の高さは約七尺(約二・一メートル)余あり。左右にへ伸びた枝は約九尺(約二・七メートル)余。根元の幹の太さは二尺一寸(約七十五・二センチメートル)もあり、花はみんな薄紅の八重である」と「遊歴雑記」に書き残している。








◆尾久橋










◆熊野の渡し

これより北に約50m
東尾久8丁目と足立区小台1丁目を結んだこの渡しは、昭和25年3月まで近隣の住民に親しまれ利用されていた。


尾久橋から。








◆アルファースタジオ

気になったので写真を撮ってみた。
撮影スタジオとのこと。
アルファスタジオ | 一日であらゆるシーンが撮影できるスタジオ








◆東京都下水局東尾久浄化センター




施設の紹介ページがあった。
東尾久浄化センター|東京都下水道局








隅田川旧防潮堤



 東京都は隅田川の高潮や洪水の対策として、昭和三十二年からコンクリート防潮堤建設に着手し、昭和五十年に概成しました。その結果、隅田川は高潮や洪水に対する危険性が大幅に減少しましたが、川とまちは分断されてしまい、都民は隅田川から遠ざけられてしまいました。
 このため、現在、東京都では隅田川を高潮や洪水に対し、より安全で都民が河川と親しめる潤いのある水辺環境に配慮したスーパー堤防へと造りかえています。
 このモニュメントは隅田川スーパー堤防の整備にあたり、これまで幾多の台風、洪水から地域を守ってきた直立の防潮堤を後世に伝えるため、その一部を保存するものです。
 下の絵図は、『江戸名所花暦』に綴られている「尾久原桜草」です。隅田川では船に乗った人たちが網を引き、競って白魚を獲っています。河岸では一面に咲いた桜草を行楽客が摘んでいる様子が描かれています。










続く。