2021/04/20 東尾久散歩 05 くすりのミナト/東尾久五丁目児童遊園/尾久浅間神社/熊野前駅/王子稲荷大明神/東京初空襲の地碑

北上して舎人ライナーに合流。
下は尾久橋通り。
そしてさらに北上する。



◆くすりのミナト

久々にムーバー見た!










◆東尾久五丁目児童遊園



車が・・・・・。



作品名「どうぞ!」
1995年 渡邉敏泰

紹介ページがあった。
どうぞ!/荒川区公式サイト



google mapに載ってない公園だった。
おそらく、この地図の「旧尾久町役場跡地」のところで合っていると思う。









◆尾久浅間神社

おそらく大きな木があるところだと思うが、私有地っぽかったので中へは入らなかった。



google mapマークの場所は上の写真の所辺り。









熊野前駅

都電荒川線熊野前駅



日暮里舎人ライナー熊野前駅



近くにあった地図









◆王子稲荷大明神










◆東京初空襲の地碑



 昭和十七年四月十八日正午過ぎ、日本の本土が初めてアメリカ軍による空襲を受けた。昭和十六年十二月八日の日本軍の真珠湾攻撃から約4ヶ月後のことである。中でも、最初に被害があったのが、この付近の尾久町八、九丁目で、12時20分頃、ドーリットル隊(ドーリットル空襲)の2番機が爆弾3個と焼夷弾1個を投下した。
 『荒川区史』所収の警視庁警備係の調査によれば、尾久では、死亡10人、重傷34人、軽傷14人、全焼43戸、全壊9戸、半焼1戸、半壊13戸の被害があったという。落下地点では、直径10メートル、深さ5メートルもの穴があき、家屋が倒壊し、上下水道やガス管も破壊された。また、焼夷弾による火災で全焼した家屋もあった。当時、干潮時で、消火に隅田川の水を利用することはできなかったが、地域の人々の尽力により、13時50分に鎮火した。
 この空襲を契機に翌5月には、熊野土地区画整理組合が設立され、電化通りから北側の現尾久橋通りが整備された。



『ドーリットル空襲とは[6]、1942年(昭和17年)4月18日に、 航空母艦ホーネットから発進したB-25双発爆撃機ミッチェル16機が、太平洋戦争で初めて日本本土攻撃をした一連の空襲である。 ヨークタウン級航空母艦2隻(エンタープライズ、ホーネット)を基幹とするハルゼー提督指揮下のアメリカ海軍機動部隊が太平洋を横断し、日本列島(本州)東方海域に到達して行った。 ジミー・ドーリットル中佐を指揮官とするB-25爆撃機16機は、日本本土各地(東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸、等)に空襲を実施し、民間人に被害があった。 軍事的な戦果は潜水母艦から航空母艦へ改造中の大鯨(龍鳳)が直撃弾で損傷[7]、またアメリカ軍機動部隊の掃討により漁船改造の特設監視艇隊に被害が出た程度だったが、日本軍に与えた衝撃は極めて大きかった。
作戦遂行において中華民国の国民革命軍の支援を受けており、日本本土爆撃を終えたB-25のうち15機は中国大陸に不時着して放棄された。この際、搭乗員8名が日本軍の捕虜となり、その処遇を巡って問題になった。また1機はソビエト連邦支配地域に不時着して、搭乗員は抑留された。 』
ドーリットル空襲 - Wikipedia










続く。