2022/05/25 日本橋散歩 01 清澄白河駅/高橋/天龍株式会社/箭弓稲荷神社/旧新大橋跡/芭蕉そば/みつまたわかれの淵(名所江戸百景)

24時間勤務アケで、東京メトロ半蔵門線清澄白河駅からおなじく東西線日本橋駅まで散歩。






最初に清澄白河北側エリアを散策。




清澄白河駅
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東京メトロ半蔵門線木尾四隅白川駅。




下町の華・技と情



江東区立深川第六中学校
平成九年度 第四十六回 卒業記念制作
下町の華、隅田川の花火を囲む装飾には、 江東区に息づく伝統工芸の技法を取り入れました。
外側の枠組みに“江戸更紗”、 内側には“江戸彫り” の木板と“江戸切子”を施したガラスの丸皿を配しています。
また、制作の際には、 江東区登録無形文化財の保持者として認定されている職人の方々に直接ご指導を頂きました。

ご指導頂いた方々
更紗染 「更浜」 佐野利夫氏 大島六丁目在住
江戸木彫刻 岸本忠雄氏 白河一丁目在住
江戸切子 小林英夫氏 猿江二丁目在住

近くにあった地図










◆高橋

下は小名木川



小名木川水門



高橋乗船上が見える。


二代目中村芝翫(しかん)宅跡

 歌舞伎役者の二代目中村芝翫は、寛政8年(1796)江戸下谷に生まれ、嘉永5年(1852)2月17日に57歳で没しました。
 はじめ舞踊家で初代藤間勘十郎の門人(のち養子)になり、藤間亀三郎を名乗りました。その後、江戸で出演中の三代目歌右衛門の弟子になり、文化10年(1813)に中村鶴助と改名、文政8年(1825)には二代目中村芝翫を継ぎました。屋号は成駒屋です。舞台では、立役(たちやく)、実悪(じつあく)、女方(おんながた)、武道(ぶどう)、荒事(あらごと)など、さまざまな場面で活躍し、天保7年(1836)には、四代目中村歌右衛門を襲名しています。


橋のすぐそばにあった。










◆天龍株式会社



HPがあった。
天龍株式会社-TENRYU Group-










◆箭弓稲荷神社












◆旧新大橋跡



旧新大橋は元禄六年十二月、この地先の隅田川に架設起工し五十二日間で完成し長さ百間幅員三間七寸あり当時橋名は両国橋を大橋と称していたので、この橋を新大橋といった。 近くの深川芭蕉庵に住んでいた芭蕉は新大橋の工事中
 「初雪や かけかかりたる 橋の上」の句をよみ、また橋の完成をみて
 「ありがたや いただいて踏む 橋の霜」の句をよんだ。










芭蕉そば

今度食べに来たいなあ。










◆みつまたわかれの淵(名所江戸百景)

歌川広重「名所江戸百景」の第67景『三つまたわかれの淵(みつまたわかれのふち)』。
ここからの風景なのだろう。
特に説明版などは見当たらなかった。










続く。