2022/05/23 茅場町・人形町散歩 06 人形町からくり櫓(町火消し)/大観音寺/蛎殻銀座跡/甘酒横丁/快生軒/人形町駅

ここでも人形町駅南側エリアを散策。
ちょこっと北側も巡った。
人形町駅でゴールし、日比谷線で家路につく。






人形町からくり櫓(町火消し



からくり櫓町火消し
江戸時代の町火消し 「いろは47組」 のなかで人形町界隈を担当したのは 「は組」 でした。
当時の衣装などを再現した人形が 「梯子(はしご) 乗り」や 「纏(まとい)上げ」を披露します。
流れる唄はとび職人が祭りなどで唄う 「木遣 (きやり)」です。
(社)江戸消防記念会第一区八番「は組」 の方々に資料や助言の協力を頂きました。











◆大観音寺


鉄造菩薩頭

大観音寺には、本尊である鋳鉄製の菩薩頭(総高170cm、面幅54cm)が安置されています。菩薩頭の頭上には高さ53cmの高髻があり、後補である鋳銅製蓮華座の台座上に祀られています。
この菩薩頭の由来については、かつて鎌倉の新清水寺に祀られていた鋳鉄製の観世音菩薩像でしたが、廃寺となった後、江戸時代に頭部のみが鶴岡八幡宮前の鉄井(くろがねのい)から掘り出されたと伝わっています。その後、明治初年の神仏分離の令に際して鎌倉から
移され、大観音寺に安置されました。以後、本尊として今日に至っています。本尊は、毎月十一日・十七日のみ開帳され、人々の信
仰を集めています。
 この菩薩頭は、中世造立になる関東特有の鉄仏のうちでも、鎌倉時代製作の優秀な作品であることから、昭和四十七年四月、東京都指定有形文化財に指定されています。


願掛地蔵尊


韋駄天地蔵尊


厄除馬頭観音


参道










◆蛎殻銀座跡



 江戸幕府の銀貨鋳造所として設立された「銀座」は、慶長十七年(1612)に駿府(現在の静岡県葵区両替町)に置いた銀座を閉鎖して、その機能を江戸へと移しました。江戸の銀座は、京橋南の町屋敷が鋳造方の長・大黒常是吹所(鋳造所・役所)と座人の居宅としてあてられました。なお、常是の拝領屋敷は、新両替町二丁目(現在の銀座二丁目)にあり、当地において通用銀貨類の鋳造と検査が行われました。
 その後、寛政十二年(1800)に座人の粛清が行われて一時廃絶 (江戸大黒家は断絶)の憂き目に遭いましたが、代わってはりまのくに ひめ京都銀座の大黒家が江戸に下り、幕府から播磨国姫路藩酒井家屋敷の土地(元大坂町〈現在の日本橋人形町一丁目4番・19番〉の南を拝領して銀座役所を再興しました。
 再興した銀座役所の敷地にあたる当該地は、古くから蛎殻町の俗称があったことから、この銀座は「蛎殻銀座」と呼ばれました。その後は、明治二年(1869)に明治政府の造幣局が新設されるまで約70年存続しました。










◆甘酒横丁












◆快生軒

こちらも行ってみたいなあ。
レビューなど見るとおレトロな喫茶店とのこと。

喫茶去 快生軒 - ホーム










人形町駅

東京メトロ日比谷線人形町駅




近くにあった案内

江戸が開府され20年ほど過ぎ、 現在の人形町交差点北側一帯には江戸唯一の歓楽街が在り大変な賑わいでした。 大芝居の中村座市村座の江戸二座では歌舞伎が上演され、 また人形操り芝居、 浄瑠璃芝居、 見世物小屋が軒を並べ、それに携わる多くの人形師達がこの町に住んでいたことから、 江戸時代より俗に「人形丁通り」 と呼ばれ後に町名となりました。正式に「人形町」という町名がついたのは関東大震災以降の区画整理昭和8年になってからです。










日陰は涼しいが、日が当たると暑いね・・・・・。
公園とトイレがビックリするほど多いので、散策するには良い場所。
史跡が多いのでちょっと歩いただけで次のがみつかる。
おそらくgoogle mapに載っていないものがたくさんあると思われる。
また巡ってみないとだね。