2022/06/10 日本橋本町散歩 03 古河市兵衛之像/江戸桜通り石標/アステラス製薬本社/三浦按摩針屋敷跡/常盤稲荷神社/お親父橋 口入屋跡

日本橋駅東側エリアを散策。




古河市兵衛之像



古河市兵衛翁は天保三年(一八三二年)京都で生まれる 行商から身を興し明治八年鉱山経営に着手 その強靱な気根と不撓の行動力により幾多の困難を乗り越え「鉱山王」と呼ばれる 足尾銅山の発展を基盤として多角経営に進出 これが今日における古河グループ発展の基礎となる 
この地は翁が明治十年住居兼古河本店としてその後二十年間事業の拠点とした発祥の地である










◆江戸桜通り石標











アステラス製薬本社

『国内最大規模の営業体制と、両社の強みを融合した研究陣を擁し、2012年医薬品売上高順位で世界18位であり、武田薬品工業(同14位)・第一三共(同19位)・大塚ホールディングス(同20位)・エーザイ(同25位)とともに国内製薬メーカー大手5社の1つである。2014年10月6日には、医薬品2位のアステラス製薬が、首位の武田薬品工業時価総額で追い抜いた。
旧・山之内製薬から引き継いだ[7]泌尿器領域の医薬(ハルナール・ベシケア)、旧・藤沢薬品から引き継いだ免疫抑制剤(プログラフ)などを主力商品とする。
2007年からはコミュニケーションスローガンとして、「明日は変えられる。」を制定している。
自社製品「セフゾン」にちなむ「ゾン太」「セフ美」というマスコットキャラクターが存在する。 』
アステラス製薬 - Wikipedia










◆三浦按摩針屋敷跡

 ウイリアム・アダムスは 西暦1564年イギリスのケント州に生まれ、慶長5年(1600)渡来、徳川家康に迎えられて江戸に入り、この地に屋敷を給せられた。造船・砲術・地理・數學等に業績をあげ、ついで家康・秀忠の外交特に通商の顧問となり、日英貿易に貢献し、元和6年(1620)4月24日平戸で没した。
 日本名三浦按針は 相模國三浦逸見に領地を有し、またもと航海長であったことに由来し、この地も昭和初年まで按針町と呼ばれた。











◆常盤稲荷神社



当社は室町中期長禄元年(1457)に太田道灌江戸城を築城の際、京都伏見稲荷大神の御分霊をいただき、常盤稲荷と名付け、同城の守護神として勧請された。後に徳川家康公開府により、江戸城郭拡張工事が行われ、現在の常盤橋(もともと大橋と称されていたが、当社がこの地に移ってより社名をもって常盤橋に改称された)辺りに社地が移された。
宝暦(1751-)の頃まで、社殿に掲げられていた太田道灌の額面に
   名に高き葦のなぎさの葦原に 
        鎮めまします常盤の神
の歌が記されていたと伝えられる。
その後更に、長浜町日本橋魚市場内に移り、市場の守護神水神大神(罔象女神)を相殿に祀り鎮座された。
当時は、大市場交易神と称され盛大な水神祭が行われ、神田祭・三天王祭と共に、大江戸の名物行事でもあった。
この水神大神は、明治34年神田神社境内に遷され水神社と改称し、築地市場の守護神として祀られ今日に至っている。
合祀されている末社産千代稲荷神社のご祭神は倉稲魂命、三穂津比売命ニ柱の大神が祀られている。古来より安産の守護神として厚い信仰があり参詣者が極めて多かったと伝えられる。そのお礼参りに桜の若木が奉納される慣わしがあり、当時は魚市場桜花爛漫の景観であったといわれている。











◆お親父橋 口入屋跡



 かつて当店のとなりに親父橋とよばれる橋があった。
 親父橋の北東には芝居町があって堺町には中村座、葺屋町には市村座が櫓を揚げて多少の変遷はあったものの江戸時代初期から天保の改革によって浅草聖天町に移されるまでのほぼ二百年間、ことのほかの繁昌を続けていた。
 また親父橋と荒布橋(あらめばし 江戸橋付近)の間の照降町(てりふりちょう)には傘屋と下駄屋が軒を連ねていたと伝えられ、昔の版画からも当時の賑わいを偲ぶことができる。
 初代堺屋武助二百回忌追善の為、これを記す。











続く。