2022/06/10 日本橋本町散歩 05 椙森神社/大門あと/元吉原大門跡/人形町駅/新高円寺

人形町駅周辺を散策。
駅でゴールしメトロを使って帰宅。





椙森神社

↑この写真だけ2017/09/05の写真
今回なぜか社殿の写真を撮っていなかったー。



 椙森神社の創建は、社伝によれば平安時代平将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が戦勝祈願をした所といわれています。
室町中期には江戸城太田道灌が雨乞い祈願のために山城国伏見稲荷の伍社の神を勧請して厚く信仰した神社でした。そのために江戸時代には、江戸城下の三森(烏森神社、柳森神社、椙森神社)の一つに数えられ、椙森稲荷と呼ばれて、江戸庶民の信仰を集めました。
 しばしば江戸城下等の火災で寺社が焼失し、その再建の費用のために有力寺社で当りくじである富興行が行われ、当社の富も人々に親しまれました。
 明治維新後も、東京市中の古社として盛んに信仰されましたが、惜しくも関東大震災で全焼し、現在の社殿は昭和6年に耐震構造の鉄筋入りで再建されました。
 境内には富塚の碑が鳥居の脇に立ち、当社で行われた富興行をしのんで大正8年に建てられたもので(昭和28年再建)で、富札も残されており、社殿と共に中央区文化財に登録されています。


富塚



椙森神社は、遠く一千年の昔、未だ江戸が武蔵野の原と言われた時代の創建です。
江戸時代には江戸三森の一つであり、又江戸商人の発祥の地としても栄えてきましたが、神社が街の中心にあるため、江戸三富の一つにも数えられる程数多くの富籤が興行された事が記録に残されています。
この富興行は、江戸庶民の楽しみの一つであり、庶民の泣き笑いが今に思い浮かべることができます。この冨塚は庶民の心の記念として大正9年に建立されましたが、関東大震災に依って倒壊してしまいました。その後、富塚の話を知った氏子の人々は有志を募って、昭和28年11月に再建されたのがこの富塚です。
この富塚は、他に類を見ないと言われ、日本で唯一の物です。今日では宝くじの元祖として多くの人々が心中祈願をしているようです。














◆大門あと




現地では説明看板など見当たらなかった。
調べてみると今よく知られている吉原はもともとこちらの人形町近くにあったとのこと。
この辺りに大門があったのであろうか?













◆元吉原大門跡



こちらも説明版などがなくここで合っているのかどうかわからない。













人形町駅

東京メトロ半蔵門線人形町駅















新高円寺















今回日記を書いて調べてる時にもまだ巡ってない場所を発見。
エンドレスかもだね・・・・・。
職場が近くて良かった。