2022/08/14 南千住・不忍池散歩 05 常磐線/三ノ輪駅/日比谷線上野駅/不忍池/下町風俗資料館/銀座線上野駅/新高円寺駅

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/08/14/223000





常磐線

上の線路は常磐線
道路は日光街道









三ノ輪駅

東京メトロ日比谷線三ノ輪駅










日比谷線上野駅

日比谷線に乗ってきたけど、出口の看板は京成線だった。











不忍池


下町まちしるべ 旧上野恩賜公園

 江戸時代初期、この地は津軽、藤堂、堀家の屋敷であったが徳川三代将軍家光は天海僧正に命じて寛永寺を建てさせた。寛永二年(一六二五)のことである。その後大きな変化もなく幕末を迎えるが慶応四年(一八六八)の彰義隊と官軍の戦争により寛永寺が焼失、一面焼け野原と化した。荒れ果てた姿のままであったが明治六年一月の太政官布告により公園に指定されたことから公園地となった。
 恩賜公園のいわれは、大正十三年に帝室御料地だったものを東京市へ下賜されたことにちなんでいる。その後規模・景観はもとより施設など我が国有数の都市型公園として整備された。面積62万㎡余り。
 上野公園生みの親がオランダ人医師のボードワン博士。病院建設予定地であった上野の山を見て、その景観のよさから公園にすべきであることを政府に進言し実現したものである。


朝倉文夫「生誕」


龍門橋碑

藍染川の流れを引き入れた掘割があったとのこと。
その橋がこの辺りにあったのだろう。

参考
不忍池のまわりに藍染川の流れを引き入れた掘割があった。そこにかかる橋の絵や写真はないか『台東区史跡散... | レファレンス協同データベース










下町風俗資料館

2022/08/14 下町風俗資料館 - ovanの社会科見学
別の日記で。









◆銀座線上野駅

東京メトロ銀座線上野駅


上野今昔物語



 江戸時代、上野周辺は将軍家の菩提寺寛永寺」の寺町として賑わい栄えました。
 文明開化と共に近代化の波の中、豊かな社の中で、内国勧業博覧会不忍池の周りでは弁天競馬等が行われたり、人々が楽しみ集う場所となっていきました。
 街には鉄道馬車や市電が走り、上野・浅草間に東洋で初めての地下鉄、東京地下鉄道(現・東京メトロ銀座線)が開業したのは、1927(昭和2)年。車両は1両、わずか5分の乗車時間にもかかわらず、長い行列ができプラットホームには人があふれました。 
 その後に多くの文化施設が建設され、日本の文化の中心となりました。
 しばし、このステンドグラスの中で上野の今昔をお楽しみください。




 このマーキュリー像はギリシャ神話の幸運、富裕の神で商人、競技者、旅人の保護者であることから、地下鉄の出入り口に相応しいとして、ここに設置いたしたものです。



ホームドアにはパンダさん。










新高円寺

東京メトロ丸の内線新高円寺駅。












まだまだ暑くてこれ以上の散歩は無理だね~。
今回の散歩ルートは公園がいっぱいだったので、休み休み歩くのにちょうどよかった。
都心だとなかなか休むところがない・・・・。