2023/01/31 源正寺




◆源正寺のイヌツゲ



 イヌツゲはモチノキ科の常緑灌木で、初夏にクリーム色の細かな花が咲きます。
 このイヌツゲは、樹高約四メートル、根回り約2.25m、幹囲1.9m (地上0.7m)あります。樹齢は、源正寺が建立されたといわれる寛文三年(1663)頃に植栽された、三百五十年を越えるものと推定されます。
 本樹は、幹囲に比べ樹高が低く、横枝が低く出ているのが特徴で、これは若木の時に独立樹として植栽され、観賞樹として手入れされてきたためと見られます。






◆源正寺「倶會一處」の碑


武蔵野の戦争の記憶を訪ねて

源正寺 「倶會一處」の碑
 第二次世界大戦当時、 現在の市役所から都立武蔵野中央公園にかけて、 ゼロ戦や隼などのエンジンをつくる 「中島飛行機武蔵製作所」という東洋一の規模を誇る軍需工場がありました。
 このため同工場は米軍の攻撃目標となり、 1944 (昭和19) 年11月24日、 マリアナ基地から飛び立ったB29による本土初の空襲を受けました。 以降、 終戦までに9回もの爆撃を受け、 亡くなった方は工場だけでも200名を超え、 周辺住民の方も数多く犠牲となりました。
 中島飛行機武蔵製作所と源正寺は、創業者の中島知久平が同派の信者であったこともあり、深いつながりがあったようです。 中島飛行機が工場用地を確保するために、 源正寺に地主の取りまとめを依頼したことなどが記録として残されています。
 空襲で亡くなられた方の遺骨は、 そのほとんどが遺族に引き取られましたが、 引き取り手のいない身元不明の遺骨5体分(5人とは限らない) が源正寺に残りました。 この亡くなった方を慰霊するため、 1948 (昭和23) 年、関係者の手によって、 「倶會一處」の碑が建立されました。
 また、墓地内には、爆撃や機銃掃射で傷ついた墓石がありますが、ご遺族の意向もあり「空襲被害の証言者」として現在もそのまま残されています。






庚申塔






◆山門






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