2023/02/19 清瀬・東小金井散歩 05 久留米下里住宅9号棟横公園/坂下の地蔵さま/青面金剛庚申塔/稲荷神社/馬頭観世音/稲荷神社/下里氷川神社

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/03/12/154904




◆久留米下里住宅9号棟横公園





◆坂下の地蔵さま



所沢街道がまだ泥んこ道であった明治二六年頃(1893)の建立。砂利敷き工事の砂利をこの地で採掘した最中に生き埋め事故で亡くなった、落合村の木村長次郎氏、門前村の中里大五郎氏、大泉村小作の浅五郎氏の三人の供養のために建てられました。
その経緯は次の通りです。亡くなった三人を気の毒に思っ下里地区の念仏満の人達が、地蔵菩薩を建てて供養しようと菩提寺の方丈軽に相談すると、「物のある人に寄進してもらって建てたお地をさまでは浮かばれなか念仏を唱え鉦(かね)をたたいて、辰巳(東南の方向(千葉方面)の千人の人か 進を頂いて建てて供養しなさい。」と言われ、念仏講の健康な五人がたくさんのわらじや布団、お米を持って旅に出たそうです。賑やかな江戸の町を通り抜け、ある夜には山の中でたくさんの狼の声が近づいてきたので、「生き埋めで死んだ人を思えば、ここで寝のお腹を満たすだけ良いではありませんか。」と、思い定めて念仏を唱え続けるという のが聞こえなくなっていたそうです。そんな苦労をしながら下総に向けて、軒(汗念仏唱え、録をたたいて歩いてたどり着いた銚子の浜では大点でたく、あの寄進、集まり、下のお金は一銭も使わずに建てることが出来ました。
時が移り昭和の時代になり、付近の公園の住宅建のための土地も買収されたので、お地蔵さまは提寺の大円寺に移転安置されました。しかしその後様々な出来事を通して事故地所の精霊と地蔵の精霊は、元の場所が恋しく戻りたいと思う気持ちを人々に伝え、望みが叶って公社より土地を買い戻し、新しい祠を建てて現在のこの地に鎮座しているのです。
坂下のお地蔵さまは静かに街道の安全と地域の人々を見守っています。






青面金剛庚申塔





◆稲荷神社






◆馬頭観世音


すぐ隣にあった墓地

どこに所属するものなのかはわからなかった。






◆稲荷神社

google mapに載っていなかった。
お掃除している人が居たので外から参拝。



google mapのマークの位置は上の写真のところ辺り。





◆下里氷川神社

別のページで!
2023/02/19 下里氷川神社(氷川橋) - ovanの社会科見学






続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/02/19/153000