2023/02/19 下里氷川神社(氷川橋)





 永遠に希う平和、それは、あらゆる困難と辛苦の累積された代償であります。永い武士社会の終焉新たな自由への解放と、希望の曙となって、我国は近代国家としての第一歩を踏み出しました。雨来一世紀余、今日では全世界の注視する経済大国として、自他共に認めるところであります。
 然しながら我が祖国と私達日本人が、いま、この豊かで平和な暮しを享受でき得る喜びの陰には、多くの人、先進達の限り無い血と汗に塗られた苦難の歴史が積み重ねられて、その大きな礎となってきたもので、正にその代償であることは言うまでもなく、私達は付時も忘れてはならないのです。
 振り返ってみますと、戊辰の役で明治の改革がなされ、さらには日清、日露戦役で多くの国民がその生命と心血をそそいで勝利し大きく国際舞台に、羽搏くことができたのでした。次いで、大正昭和の大恐慌から第二次世界大戦とつづいて我国未曽有の国難となり、それは枚挙に暇もない程の困難苦闘の荒波に遭遇したのでした。
 ここに銘記することは、いつの時代にあっても、これらの困難に対しては、幾多の名もない人びとが肉親の 望郷の念も空しく、自らの尊い生命を犠牲にして血と汗を流してきたことであります。
 国を興し故郷の地を拓く原動は、情況の如何を問わず、若者の情熱と活動力であり、加えて先進者の大きな支えであるのです。このようにして我が、下里にあっても当然の如くにして、多くの若者が時代を支えてきたのです。
 また、内外の有事、平時に関らず、上下や老若男女を超えた村内一致の協力体制が、強く、大きく存在したことに理解せねばなりません。今や私達は、このような美しく堅固な と、勇気ある先人先進諸兄を尊敬し誇りとするものであります。さらにその心は、下里の魂として私達の心の中に今も尚、生きつづけていることを知らねばなりません。
 人は誰でも、自らの父母や生まれ故郷を選ぶことはできません。そしてその恩恵は、無限であるのです。だから導く大切なのです。今日私達はその無限の恩恵を受けついで存在することの喜びを、厳粛に受けとめ未来永劫に忘失することなく、私達愛郷の下里人のひとり一人の銘として、新たな感謝を捧げるとともに未来への誓いとするため、ここに永久の平和を祈り碑を遺すものであります。




氷川神社御由緒
御祭神 須佐之男
縁起創立年月日不詳であるが長禄元年(1457)九月再建したと記されいる。古くは旧神宮寺が別当寺であったが神仏分離により所管替えとなったものである。





◆稲荷神社






末社



八雲神社/秋葉神社/富士浅間神社/御嶽神社/榛名神社/妙義神社/白山神社/下里招魂社





◆神楽殿





◆鳥居






厳島神社





不動明王石像





◆氷川橋

下は黒目川。








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