2023/07/22 竹橋・四ツ谷散歩 パレスサイドビル/国立公文書館/北の丸公園/乾門/旧東京国立近代美術館工芸館/英国大使館/麹町(一番町)/藤田嗣治旧宅跡碑/上智大学ソフィア会/四ツ谷駅


24時間勤務アケで、職場近くの国立公文書館へ。
その後、四ツ谷駅まで散歩。



パレスサイドビル




国立公文書館

別のページで。
2023/07/22 国立公文書館「大正時代―公文書でたどる100年前の日本―」 - ovanの社会科見学




北の丸公園

ちょっと寄り道。





◆乾門




◆旧東京国立近代美術館工芸館

中身は石川県の金沢へ引っ越してしまった。
沿革 - 国立工芸館


建物は「旧近衛師団司令部庁舎」
近衛師団 - Wikipedia




◆英国大使館

木に隠れてしまっているね・・・・。
中へは入ったことがないけれど、訪れたことはある。




◆麹町(一番町)




藤田嗣治旧宅跡碑

一度訪れたことがある。
2018/01/07 四ツ谷散歩 02 泉鏡花旧居跡/有島武郎・有島生馬・里美紝旧居跡/番町文人通り/藤田嗣治旧居跡/麹町六丁目 - ovanの社会科見学



 藤田嗣治は、明治十九年(1886)十一月二十七日、東京牛込に生まれた。
 大正二年(1913)パリに渡り、やがてエコール・ド・パリの代表的な画家として活躍。日本人で初めて国際的な評価を得た洋画家であった。とくに彼の描く「乳白色の肌」は、他の追随を許さない独自の画風であった。
 昭和十二年(1923)七月、この地にアトリエを新築。昭和十九年(1944)に小淵村疎開するまで居住した。この頃に君代夫人と結婚し、新婚生活をこの地で過ごした。また軍部の依頼でこの時期から多くの戦争記録画を制作したが、戦後そのために糾弾される。昭和二十四年(1949)渡米した後フランスに渡り、再び日本へ戻ることはなかった。
 晩年はフランスに帰化し、レオナール・フジタとして昭和四十三年(1968)一月二十九日、チューリヒで死去した。享年81歳。
 120年目の生誕日に、ここ旧居跡地に記念碑を建立し、彼の画業を顕彰する。




上智大学ソフィア会




四ツ谷駅




やっぱり暑かった(w
このくらいの散歩がちょうどよいね。