2023/07/30 竹橋・飯田橋 01 竹橋/中坂/築土神社/日本乳業会館/硯友社跡/駐日フィリピン大使公邸/冬青木坂/ホテルグランドパレス


24時間勤務アケで、竹橋から飯田橋まで散歩。




◆竹橋






◆中坂

坂下。



坂上



江戸時代初期に徳川家康が視察に来た時、付近の農民である飯田喜兵衛が案内役を務め、それ以降喜兵衛が名主となったことから、この地域を飯田町と呼ぶようになりました。元禄十年(1697)の大火の後、村近の武家屋敷が移転した際、新たにこの坂が作られ、飯田坂と呼ばれました。その後、南にある九段坂と北にある冬青木坂の中間に位置することからわれるようになりました。現在では九段坂(靖国通り)が交通の中心ですが、江戸時代には中坂が重要な交通路であり、多数の商店が軒を並べていました。また、神田祭の山車などはみな中坂を通りました。




築土神社

別のページで。
2023/07/30 築土神社 - ovanの社会科見学





◆日本乳業会館

『一般社団法人日本乳業協会(にほんにゅうぎょうきょうかい)は、乳業者等の団体による業界団体。以前は厚生労働省農林水産省共管の社団法人であったが、公益法人制度改革に伴い2011年4月1日に一般社団法人に移行。 』
『所在地 東京都千代田区九段北1丁目14番19号 乳業会館4F』
日本乳業協会 - Wikipedia

HPもあった。
一般社団法人日本乳業協会





硯友社



 現友社は1885年(明治18年)2月、東京大学予備門で学ぶ尾崎紅葉 山田美妙(やまだ びみょう)と、 石橋思案(いしばししあん)らによって結成された日本初の文学結社です。 同年5月には機関誌として 「我楽多文庫(がらくたぶんこ)」 を発行しました。 同誌には言文一致体小説から新体詩狂歌などあらゆる分野の文学が掲載され、 川上眉山(かわかみびざん)、巌谷小波(いわやさざなみ)、 広津柳浪(ひろつりょうろう)、江見水蔭(えびすいいん)など同人は200名を数えました。
 創立メンバーの1人である山田美妙が同誌を去ると、誌名は 「文庫」 と改められます。
 硯友社同人の作品は広く当時の青年に受け入れられ、明治期の文壇の基礎となりました。 明治30年代以降、同人は個別の活動を始め、 硯友社としての活動は衰退します。 その後、紅葉の死を契機として現友社の活動は終わりました。





◆駐日フィリピン大使公邸

『駐日フィリピン大使館公邸(ちゅうにちフィリピンたいしかんこうてい、Residence of the Philippine Ambassador to Tokyo)は、東京都千代田区にある駐日フィリピン共和国大使の公邸である。フィリピンではその所在地から「the Kudan(九段)」とも呼ばれている。 元々は1935年(昭和10年)に、安田善三郎の次男で画家であった安田岩次郎(やすだいわじろう)が安田家の邸宅として建てた洋館で、岩次郎の姪であるオノ・ヨーコが幼少期に3年間住んでいたこともある[1]。1944年(昭和19年)にフィリピンへ売却され、以来、同国の大使公邸として使用されている。「フィリピンの外交活動の至宝(crown jewel of Philippine foreign service)」と呼ばれ、2013年(平成25年)にはフィリピン国外における国家的歴史建造物の第1号に指定された』
駐日フィリピン大使館公邸 - Wikipedia






◆冬青木坂

坂上



坂下。



元禄十年(一六九七)の大火後、この坂より北側には武家屋敷が広がり、南側は元飯田町がありました。坂の途中にあった武家屋敷に植えられていた古木が、モチノキであるということから名付けられました。明治時代、坂上の東角には、JR中央線の前身である甲武鉄道の建設に力を尽くし、社長を務めた実業家雨宮啓次郎(あめみやけいじろう)の邸宅がありました。





ホテルグランドパレス

解体されていた。
ホテルグランドパレスHotel Grand Palace)は、東京都千代田区飯田橋にあったホテル。パレスホテルチェーンのひとつとして運営されていたが、2021年(令和3年)6月30日で営業を終了した。ワールドホテルズ(ディスティンクティブコレクション)に加盟。
1973年(昭和48年)、日本建設業連合会による「第14回BCS賞」を受賞。
ホテルグランドパレス - Wikipedia







続く。
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