2023/11/02 文庫の森公園(旧三井文庫)


『文庫の森(ぶんこのもり)は、東京都品川区豊町にある品川区立の歴史と防災を兼ね備えた公園である。
国文学研究資料館跡地(旧三井文庫)が、池や樹木など元からある環境資源を生かして、日常の憩いの場所となる公園「文庫の森」となった。
敷地は災害に強いまちづくりの観点から広域避難場所に位置づけられた「戸越公園一帯」の一部であり、園内のオープンスペースは大地震時に発生する延焼火災などから避難した人々の身の安全を確保する避難場所としての機能を持つ。 』







◆水辺の広場




◆旧三井文庫

以前来たことがある。
2020/05/07 戸越散歩 04 笠森稲荷神社/文庫の森/区立戸越体育館/戸越公園/東急大井町線ガード/古戸越川暗渠跡 - ovanの社会科見学

今回は内部の一般公開があるということだったので来てみたのだが、日にちを間違えて見られなかった・・・。
文化財ウィークの時に公開されるのかな?
来年は良く調べてから参ります。

『三井家の修史事業が始まったのは1891年(明治24年)であり、1903年明治36年)に三井家々史乃事業史編纂方が創設された。1918年(大正7年)に現戸越公園の三井家別邸内に編纂室を移転し、江戸時代の各店の帳簿に加えて明治以降の会社資料も合わせて保管するために、コンクリート3階建ての書庫と事務所を設立し「三井文庫」と改称した。太平洋戦争の空襲で貴重な資料が失われるのを防ぐために一部の貴重な資料は神奈川県大磯の三井総領家城山荘に疎開させたが、1945年(昭和20年)5月24日の空襲で事務所が全焼し土蔵にも延焼し、多くの資料を喪失した。終戦によりGHQにより財閥解体され、1949年(昭和24年)に文部省から土地と建物を売却するよう要請され、土地と建物は売却、収蔵品は文部省に寄託されることになった。
戦後の混乱も落ち着いてきた昭和30年代に入り、三井不動産の社長であった江戸英雄の発案によって三井文庫の再建が図られた。1964年に文部省と三井家の間で返還に関する覚書が締結され、翌1965年、三井グループ各社によって「財団法人三井文庫」が設立された。
1985年には文化史研究部門(「三井文庫別館」)を併設し、数次にわたり三井家伝来の美術品・郵便切手等の寄贈を受けて収集・研究・公開を行うようになり、2005年10月には、所蔵する美術品を公開するためにかつての三井財閥の本拠地であった三井本館に三井記念美術館を開設した。
2010年4月1日、内閣府より公益財団法人の認定を受け、法人名称を「公益財団法人三井文庫」に変更。 』
三井文庫 - Wikipedia



(壁式鉄筋コンクリート造3階建て、1922、改修1926)
[歴史]
 「文庫の森」一帯は1662(寛文2)年に熊本藩の分家熊本新田藩が下屋敷として拝領、 その後本家の所有となり戸越屋敷として整備された。その後、1890(明治23)年に、財閥の三井家の所有となった。やがてこの地に三井文庫が設置されることになり、平家の事務棟と3階建ての同形の書庫2棟が、すべて鉄筋コンクリート造で建てられた。事務棟の主要部と第一書庫車の竣工は1918(大正7)年で、第二書庫は、事務棟増築とともに1922(大正11)年に完成した。これらの建物を設計したのは、東京帝国大学営繕課長(当時)の山口孝吉(1873-1937)である。
このうちで現存するのが第二書庫である。

[構造形式]
 第二書庫は、約14m×9mの長方形平面の建物で、空気層を挟む2重の鉄筋コンクリート造壁で囲われている。柱ではなく、壁が荷重を支えるこのような形式は、壁式構造と呼ばれる。大正・昭和戦前期の日本の鉄筋コンクリート造建物にはこの形式は稀で、現在知られているかぎりでは、この建物が最古の現存例である。ちなみに、2重壁にしたのは史料を火災の熱から守るためと考えられる。1階スラブ(床)と屋根スラブまで鉄筋コンクリート造にしているのは当時では珍しいが、建物を不燃材で囲うということで、これも防火のためと見られる。
 内部には書架が並んでいるが、その書架の柱を鉄骨にして、その上の梁を受ける構造材としても利用しているのが注目される。梁は、平行に並ぶ書架に合わせて、通例よりもはるかに狭い1.6m間隔で並び、その梁のラインに1.2m間隔で3本1組になった書架の鉄骨柱2組が一列に配されて、6つの点で梁を受ける。この鉄骨による多支点支持は、書籍などの史料の重さに耐える必要があるという書庫の目的にもかなうユニークで巧みな手法で、それにより約9mの梁間では90cm程度必要になるはずの梁の高さを20cmに抑えることもできた。ちなみに、書架の鉄骨柱は、アメリカ製の山型鋼を背中合わせに4本組み合わせて十字形断面(端の柱は2本でT字型断面)にしたものである。

[建築技術史的価値]
 1923(大正12)年の関東大震災では、この建物はほとんど被害を受けなかったが、この震災の被害の多くが火災によるものだったことを教訓に、三井文庫は直ちにこの建物の防火性能を高める改修工事に着手した。窓を市松模様につぶして火が入る危険を減らしつつ、残した開口部の内外面に人造石研ぎ出しの防火戸を増設した。この改修工事は1926(大正15)年に完了した。
 以上から、この建物は、ユニークで巧みな構造でつくられている点で、日本における壁式鉄筋コンクリート造建物の現存最古のものと見られる点で、また震災の教訓をすぐに活かして防火性能を高めた点で、建築技術史上注目すべきものといえる。




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