2023/10/04 新宿中央公園


『西新宿の新宿高層ビル群の一角にあり、付近の貴重な緑地となっている。
当地はもともと、現在隣接する熊野神社の敷地の一部であり、戦前は小西六写真工業(現:コニカミノルタ)の工場敷地などとなった。戦後に新宿副都心計画の一環として、淀橋浄水場の跡地と合わせて公園として整備されることになった。公園の北端には新宿区立環境学習情報センターと新宿区立区民ギャラリーの複合施設「エコギャラリー新宿」が設けられた。
またその立地から、テレビドラマや映画、テレビ映画のロケーション撮影にも頻繁に使用されている。 』
新宿中央公園 - Wikipedia


公園内にいろいろ史跡などがある。
2019/06/03 に散策したときに見逃がしてしまったものがいくつかあった。
そのときのと1つのページにまとめた。
<2019/06/03撮影>とあるもの以外は、2023/10/04に撮影したもの。




淀橋浄水場の煉瓦のモニュメント

なぜか英語の解説があるだけだった。
この場所に昔ここにあった浄水場の煉瓦を使ったオブジェであろう。





◆新宿ナイアガラの滝



<2019/06/03撮影>





◆新宿白糸の滝



<2019/06/03撮影>



<2019/06/03撮影>





◆「瞭」像

分部順治 作



この作品は分部順治氏(日展理事)の日本芸術院賞受賞作で 
東京西北ロータリークラブ20周年記念に当り 
同氏の胞子を得て当公園に寄進したものである
題名瞭(りょう)は明らか、明快、瞳に移る穢れのない美しい心と言ふべきか

『分部 順治(わけべ じゅんじ 1911年1月6日 - 1995年3月1日)は、日本の彫刻家。』
分部順治 - Wikipedia





◆燮 (やわらぎ)の像

佐藤健次郎 作


やわらぎ。ゆっくりと溶けあう。
母と子の間の温い火のように、めぐりあう心と心をあえかに暖めあおう

『栃木県、のちの那須塩原市出身。具象彫刻、新宿中央公園栃木県総合運動公園、北海道から屋久島まで各地にモニュメントがある。また、評論家の草柳大蔵とも親交があり、新宿中央公園の「燮(やわらぎ)」の像は草柳が名付けたもの。日本交渉学会理事。』
佐藤健次郎 - Wikipedia






◆写真工業発祥の地(六桜社跡)




google mapのマークは上の写真の所あたり。
近くに「写真工業発祥の地(六桜社跡」の碑があったので、そちらと間違えたものと思われる。
PC版ではみられなくなっているのでなくなるかも?





◆写真工業発祥の地

<2019/06/03撮影>
この地は、明治三十五年五月、小西本店(現・コニカミノルタ)が写真感光材料の国産化を図り、研究所と工場(六桜社)を建設し、製造を始めたところである。同社は、さらにカメラ の製造も始め、写真フィルム の国産化にも成功した。その後、昭和三十八年、新宿副都心建設事業により、八王子・日野へ移転した。今日わが国は、世界の写真 王国となっているが、その礎はこの地で築かれたものである。





◆六桜(ろくおう)社跡

<2019/06/03撮影>
明治35年~昭和38年の間創業していた。
六桜社(現コニカミノルタ)の写真感光材製造工場の跡である。





◆旧淀橋浄水場六角堂

<2019/06/03撮影>



<2019/06/03撮影>
六角堂は、旧淀橋浄水場の洋風四阿(あずまや)で、階段を上がった先にある富士見台と呼ばれる築山上にあります。建てられた時期は、明治39年から昭和2年の間と考えられます。公園整備の際に、当時の地盤をそのまま残し、浄水場時代の記念物として保存しました。今では、浄水場のあった当時の施設等はほとんど無くなり、この六角堂は現存する貴重な施設であることから、平成25年3月に新宿区の『地域文化財』に認定されました。
 六角堂の足元にはレンガを用いた飛び石があります。これは淀橋浄水場に使われていたレンガを再利用したものです。

 当時の淀橋浄水場を訪れた見学者は、六角堂付近で場内を眺めながら説明を受けたり、休憩したりしていました。六角堂がある富士見台は、明治39年から始まった沈でん池の増設工事で発生した残土を使い、築山にしたものです。





◆富士見台

<2019/06/03撮影>
この丘は公園の最高所(標高 東京湾中等潮位十45※)で はるか西空に秀嶺富士を仰ぐ展望台である
 なお ここにある六角堂 は淀橋浄水場 時代のものを補修してそのまま残した
 また通路の飛び石は浄水池の壁に使われていた明治30年頃の古い煉瓦である。





◆絆の像

三澤憲司 作



説明版だとおもっていたが「ライオンズクラブ」の文字だけ確認できた。

『三澤 憲司(みさわ けんじ、1945年 - )は、日本の彫刻家。長野県長野市信州新町生まれ。 』
三澤憲司 - Wikipedia





◆平和の鐘





◆「髪」像

渡辺弘行 作





場所はこちら






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2019/06/03 日記アーカイブ
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新宿中央公園



新宿白糸の滝



新宿ナイアガラの滝



写真工業発祥の地




この地は、明治三十五年五月、小西本店(現・コニカミノルタ)が写真感光材料の国産化を図り、研究所と工場(六桜社)を建設し、製造を始めたところである。同社は、さらにカメラ の製造も始め、写真フィルム の国産化にも成功した。その後、昭和三十八年、新宿副都心建設事業により、八王子・日野へ移転した。今日わが国は、世界の写真 王国となっているが、その礎はこの地で築かれたものである。




「六桜(ろくおう)社跡」
明治35年~昭和38年の間創業していた。
六桜社(現コニカミノルタ)の写真感光材製造工場の跡である。



淀橋浄水場六角堂




六角堂は、旧淀橋浄水場の洋風四阿(あずまや)で、階段を上がった先にある富士見台と呼ばれる築山上にあります。建てられた時期は、明治39年から昭和2年の間と考えられます。公園整備の際に、当時の地盤をそのまま残し、浄水場時代の記念物として保存しました。今では、浄水場のあった当時の施設等はほとんど無くなり、この六角堂は現存する貴重な施設であることから、平成25年3月に新宿区の『地域文化財』に認定されました。
 六角堂の足元にはレンガを用いた飛び石があります。これは淀橋浄水場に使われていたレンガを再利用したものです。


 当時の淀橋浄水場を訪れた見学者は、六角堂付近で場内を眺めながら説明を受けたり、休憩したりしていました。六角堂がある富士見台は、明治39年から始まった沈でん池の増設工事で発生した残土を使い、築山にしたものです。



富士見台

この丘は公園の最高所(標高 東京湾中等潮位十45※)で はるか西空に秀嶺富士を仰ぐ展望台である
 なお ここにある六角堂 は淀橋浄水場 時代のものを補修してそのまま残した
 また通路の飛び石は浄水池の壁に使われていた明治30年頃の古い煉瓦である。