2024/09/08 小作・羽村散歩 04 宮地児童遊園/羽村加美(かみ)歩道橋/西玉社跡/吉祥寺跡/阿蘇神社/宮川家住宅主屋

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◆宮地児童遊園



こども

藤岡孝充 作







羽村加美(かみ)歩道橋

下は都道29号立川青梅線









◆西玉社跡

後に見える建物は「羽村市立羽村西小学校」



 羽村市は明治の中頃から、日本一と自慢するほど養蚕が盛んで、 七つもの製糸工場
 組合製糸工場「西玉社」は昭和六年(1931) に設立され、従業員約百名。 糸繰工場、 寄宿舎、二本の大きな煙突、 その他の施設があり、製品の生糸は横浜へ出荷されていました。
 太平洋戦争が激しくなると、 養蚕は衰え、 西玉社も軍需工場 (兵器生産) に変わりました。 戦後、 校舎に改造して西多摩中学校となり、 その後、 羽村西小学校となりました。







◆吉祥寺跡



『新編武蔵風土記稿』 (江戸時代後期の地誌) には、 吉祥寺について次のように書かれています。 「境内は免税地で八間(約14.5m) に十一間 (約20m) の広さで山王山吉祥寺といい、 一峰院の末寺。 客殿は六間 (約11m)に三間(約5.5m) で東向き。 二間四方の十王堂が客殿の前にあり、 本尊は釈迦立身木像で近来住職がいない。」また一峰院の記録によれば、文化11年(1814) 火災で焼失したため、地元で管理していたのを嘉永7年(1854)から一峰院に移したとされます。 現在は個人所有地ですが、 この付近からは平安初期の土師器破片や、 中世の板碑も出土しており、 阿蘇神社、 一峰院と共に羽村文化の中心地であったともいえます。








阿蘇神社

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2024/09/08 阿蘇神社 - ovanの社会科見学







◆宮川家住宅主屋


参考
宮川家住宅主屋 文化遺産オンライン







続く。
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