前のページからの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/11/01/190000
◆朝日稲荷神社
こちらも以前お参りに来たことがある。
2017/04/25 築地・銀座散歩 築地橋/築地小劇場跡/八紘一宇の碑/宝珠稲荷神社/朝日稲荷神社 - ovanの社会科見学
◆宝珠稲荷神社
以前お参りに来たことがある。
2017/04/25 築地・銀座散歩 築地橋/築地小劇場跡/八紘一宇の碑/宝珠稲荷神社/朝日稲荷神社 - ovanの社会科見学
宝珠稲荷神社は1615年の頃三河の国深溝(ふこうず)の領主板倉内膳匠(ないぜんのかみ:内膳正とも)重昌の江戸屋敷内に家内安全火除の神として祭神せられたるものなり。
内膳匠重昌は京都所司代及び江戸町奉行として令名高かりし板倉勝重の次男として1588年後陽成天皇(ごようぜいてんのう:第107代)の御代天正13年の頃の生れである。
重昌は武勇に富み敬神の念厚く大阪冬の陣島原の乱等に追討軍令として鎭台を務めたるも不幸にして島原の乱に於いて年令50才にして戦死したるものなり。
時の将軍は家光であり第110代後光明天皇(ごこうみょうてんのう)の御代である。
内膳匠の兄周防の守重宗は下総の国関宿の城主なり。
年経て1760年宝暦年間岩見の国津和野の城主亀井家に譲渡せられたるものなり。
明治の維新に於ける亀井滋玄の功績は大鼓稲荷と共に有名なり。
更に大正7年岡山の岡崎家に売却されたるも爾来本神社は敷地と共に地元木挽町(こびきちょう)3丁目氏子に寄進せられ1950年地元氏子有志相計り隣接地を買収し社殿及び社務所を建設して今日に至るものなり。
◆歌舞伎稲荷神社
こちらは神社巡りの中に含まれていなかった。
こちらも以前お参りに来たことがある。
2017/08/09 01 築地・銀座散歩 もんぜき通り/歌舞伎稲荷大明神 - ovanの社会科見学
◆あづま稲荷大明神
こちらも以前お参りに来たことがある。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/01/16/223000
◆靍護稲荷神社
GINZA SIX(旧松坂屋銀座)の屋上にいらっしゃる。
こちらも以前お参りに来たことがある。
2017/08/09 03 GINZA SIX/靍護稲荷神社/鍛冶橋跡 - ovanの社会科見学
松坂屋銀座店跡
松坂屋銀座店は、関東大震災の翌大正13(1924)年12月、銀座復興の先陣を切って、銀座初の百貨店としてこの地に開業した。
地上8階、地下1階、高さ約43mの建物は、当時、銀座一の高層ビルであった。その後、増改築を重ね、街の近代化を示すランドマークとしての役目を担ってきた。
百貨店の大衆化を加速させた土足入場の実施、家族連れで楽しめる屋上動物園の開設、ファッションと機能性を先取りした制服の完全洋装化、モータリーゼーションを見越したエレベーター式パーキングの併設・・・。
これらは、いずれも松坂屋銀座店が先鞭をつけたものでを閉じた。
平成25(2013)年6月30日「銀座六丁目10地区第一種市街地再開発事業」に基づき、90年の歴史に幕を閉じた。
鶴護稲荷大明神由来記
抑も当靍護大明神は今を去ること150年の昔、文化12年は如月の午の日、山城伏見の本宮より勧請して江戸の根岸の里に奉安す。爾来店主店族は素より江戸市民の深き信仰を蒐め今日に至れり。明治14年の或る夜神守の親爺は神殿附近に於いて白狐を認めたるがその跡に一巻の掛軸遺畄しあるを発見し怪しみて繙けば畏くも三州豊川稲荷大明神の尊像にてありしかば直ちにその由を店主に告げて神霊と共に奉祀して今日に及べりと伝う。大明神は霊験顯にして特に火防の神として世世附近住民の難を救はせ給へる事一再に止らず近き例に徴するも去る大正12年9月関東大震災が大正14年3月日暮里の大火に当たり既に危く見栄たるにも拘らず神域社殿は勿論松坂屋舎宅の凡べて無事なるを得たるは今尚世人の耳目に新たなる所なり。昭和4年己己の春2月18日、2の午の吉辰を卜し山王日枝神社宮司に請うて神霊を分霊し地上80尺の本館屋上に奉安して茲に遷座の式を行えり。
屋上からの景色
工事中のところがたくさん。
今度来た時には又大きく変わっているんだろうなあ。
ちょうとイベントで説明してくださっている方がおり、いろいろお話を伺った。
◆ニコラス・G・ハイエックセンター
とても変わった建築物だねー。
思わず写真を撮ってしまった。
◆熊谷稲荷神社
こちらも以前お参りしたことがある。
2022/02/21 銀座・築地散歩 02 三輪稲荷神社/商法講習所跡/ビヤホールライオン/豊岩稲荷神社/元銀巴里跡/熊谷稲荷神社/山村座跡 - ovanの社会科見学
続く。
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