24時間勤務アケで「大嘗祭」で使われた、「大嘗宮」が一般公開されたので皇居に行ってきた。
大嘗祭は天皇が皇位継承に際して行う宮中祭祀であり、皇室行事。
一代に一度限りしか行われず、大嘗宮も一般公開が終わったら解体されてしまうとのこと。
宮内庁
やはりここから先は行けなかった。
百人番所
大番所
大番所は、左の写真に映っている大手中之門の内側に設けられていた警備詰所です。ここには位の高い武士が勤務していました。この番所は、明治期に改築され、作業所として使われていましたが、昭和43年(1968年)に江戸時代の姿に復元されました。
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この地に最初に城を築いた太田道灌が、このあたりに天神社をまつり、数百株の梅を植えたことから「梅林(ばいりん)坂」の名がついたといわれています。現在は約70本の紅白の梅が植えられており、12月末から2月まで花が楽しめます。
都道府県の木
各都道府県から寄贈された47種類の樹が植えられているとのこと。
諏訪の茶屋は、元々、明治45年(1912年)に、皇居内の吹上地区に建てられてものです。その場所に、江戸時代に諏訪社があったことから、諏訪の茶屋という名前が付いています。
昭和43年(1968年)に現在の場所に移築されました。
同心番所
「番所」とは警備詰所のことで、江戸城にあった番所のうち、百人番所、大番所、同心番所の3つが残っています。ここには主として「同心」と呼ばれる武士が詰め、登城者の監視にあたっていました。屋根瓦には、皇室の菊の御門のあるものや徳川家の葵の紋があるものが見られます。
こんな企画展をやっていたが、僕には美術を見る目がなくて・・・・・。
大手門は江戸城の正門で、諸大名がこの門から登城しました。大小2つの門に囲まれた枡形は、侵入する敵を阻止・攻撃しやすい構造になっています。大きい方の門は、昭和20年(1945年)4月の空襲で焼失し、昭和42年(1967年)に復元されました。焼失前の門の屋根に飾られていた鯱には、頭部に「明暦三丁酉」(1657年)と刻まれています。この明暦3年には、江戸城の多くの建物が焼失した明暦の大火が起きており、鯱は、大火の後、江戸城再建時に制作されてものと考えられます。
いつかみたラグビーワールドカップのオブジェは近くのビルに片づけられており・・・・。
東京駅では「オリンピックのカウントダウン」が始まっていた。
東京駅、やたら人が多いと思っていたらこの後天皇・皇后がお見えになったんだね。
伊勢神宮に向かったらしい。
もうちょっと待っていればよかったかな(w